2011年3月6日日曜日

初マラソン

 30キロ地点で棄権となった。タイムは3時間10分50秒。

 
 完走で5時間切ることを目標にしていたのだが、あっけなく玉砕となる。
 20キロ地点までは景色を見る余裕もありだいじょうぶだったのだが、それを超えてから膝、股関節というところから悲鳴が上がりだし、25キロ地点からはふくらはぎ、太ももの筋肉が痛み出し、途中でウオーキングも混ぜながら完走を目指したのだが、残念である。
 這ってでも完走を目指そうという意地と、もうここまでやれば充分だろうという自己満足が数分ごとに入れ替わり立ち代り心を乱す。
 最後は明日の仕事を考えると「このままマッサージを受けに行かなければ」という誘惑が心身を覆ってしまった。
 途中でトイレに3回入った。韓国の高麗人参入りの液体エキスをレース直前に飲んだのがよくなかったのか、利尿作用がよすぎた。
 終了後控え室に引き上げ、ストレッチをしようとしたが、下半身がつっぱっていて、座ることができない。
 いい経験ではあったが、やはり山に戻ることにした。
 
 

2011年3月5日土曜日

外国人献金

 自民党・公明党の議員の大多数も同罪であろう。
 今から20年前に「パチンコ疑惑」というのが、国会で取りざたされた。
 当時、躍進した社会党を落とし込むために、自民党側が仕掛けたものだ。
 社会党の議員がパチンコ業界から政治献金をもらっており、そのパチンコ業界は脱税をして北朝鮮に送金しているという筋書きである。
 蓋を開けてみたら、自民党議員が金額的に人数的にも多かったので、あわてて幕引きをしたという喜劇である。
 一方、創価学会には在日コリアンの信者が相当多く加入している。その「外国人信者」たちが選挙となれば公明党の票がために献身的な働きをしていることは周知の事実である。
 確か「公職選挙法」では外国人の選挙活動は禁じられているはずである。
 私はこの際、泥沼覚悟で徹底的に政治家と外国人献金問題を掘り下げればいいと思う。
 ほとんどの政治家が、脛に傷をもっていることが明らかになるだろう。
 それにしても、この程度の献金額と内容で馬鹿騒ぎしているマスコミと政界の幼稚さには開いた口がふさがらない。

2011年3月4日金曜日

「春闘」

  新年度を迎えるにあたって、この時期は人事の問題で頭を悩める。
 今までは「資本家(雇用主)」を批判・糾弾する側の仕事ばっかりしてきたので、反対側の立場に立たされた時に180度ものの見方を変えなければならない時があって、戸惑うことが多い。
 今では死語となっているが「春闘」という意味が身をもって感じられる。
 就業規則の解釈、給与規定の見直し、契約交渉、労基署への書類提出等、今まで経験したことのない業務にてんてこ舞いである。
 本当に「経営者」は大変だと最近は同情するようになってきた。
 いうならば今までは「万年野党」の立場で批判して反対を叫んでいればよかったのだが、現在は「政権与党」としてのマニュフエストの実現と説明責任を負っているということになるのだろう。
 そう意味では民主党にも同情したくなってくる。

2011年3月3日木曜日

小6のラブレター

 妻が長男の部屋を掃除していたら、ノートの切れ端を見つけた。
 そこには、「好きです」と「付き合ってほしい」との文字が書かれていたらしい。
 そして一番下には自分の携帯番号を書いているのだが、名前のところは○○○だけで明記していない。直接ではなく、同級生の女の子を通じて手渡したらしい。
 今までは女の子からのメールは「すべて迷惑メールにしている」と言っていたのだが、 最近は帰宅後にひっきりなしにメールのやりとりをしているので、そういうことなのかと合点した。
 まさに季節も気分も「春近し」ということらしい。
 

2011年3月2日水曜日

イーグルス

 昨夜9時頃、腹をすかして自宅近くのイングリッシュパブに立ち寄ったら、イーグルスのDVDが流れていた。マスターに「懐かしいな」と言ったら、「今、大阪ドームでライブやっているんですけど、チケットとれなかったお客さんがもちこんだ5年前のDVD映像を流しているんです」とのことだった。
 立ち飲みが基本のパブだが、1時間ほど見とれてしまった。
 歌はもちろんだが、メンバーひとりひとりの表情が素晴らしい。「おれも、あのような老け方をしたいな」と思いながら画面に食い入っていた。
 10代後半の無限の可能性を感じながらも、自分の小さな殻を破れず、日々悶々としてしていた時に夢中になったイーグルスの歌は「可能性」も「小さな殻」も瞬間にふっ飛ばしてくれた。
 50代になって聞いたイーグルスの歌は「限りある時間の可能性」を与えてくれたような気がする。
 大阪ドームでのライブDVDが欲しい。NHKさん1ヶ月分だけ受診料払うからBSで放映して。
 

2011年3月1日火曜日

第1回卒業式

 司会・進行を任されたので、冷静にふるまわなければならないのだが、さすがに途中で一回、鼻の奥がツーンときて、進行表がかすんでしまった。
 
 卒業式に参加するといつも、「学校の先生になればよかった」と痛感してしまう。
 9名の卒業生たちは教員と父母への感謝を述べていたが、私はこの生徒たちに心から感謝したい。

 イギリス、韓国、そして日本国内で大学生活を送るのだが、単純に「おめでとう。頑張れ」とは言い難い時代の中で、彼(女)達はこの3年間ですでに普通の学校ではありえないような困難と同時に素晴らしい出会いも体験しているので、しっかりと自分の頭と足で判断して、挫折に強く、成功をおごらない人生を送ってくれることだろう。
 
 

久々の爆弾酒

 今回の韓国訪問では20年以上の付き合いをしている先輩・後輩たちが妻と子どもたちをつれてお祝いに駆けつけてくれた。
 
 全員が延世大学出身で日本の慶応や東大の大学院に留学した経歴を持つ、いわゆるエリートたちだが、学生運動の経験をもち、夜通し酒を酌み交わし、激論した最も親しいメンバーたちだ。
 まだ独裁政権のきびしい政治状況下で反共教育の影響が社会と人々の心まで根深く巣食っているときにでも、民主化と統一のあるべき姿を真摯に模索していた。
 メンバーの中には来年あたり「おじいちゃん、おばあちゃん」になる者もおり、歳月の速さを感じさせる。
 マッコルリから始まり、最後はカラオケで「爆弾酒」の洗礼を受けて、さすがに翌日はアルコールが抜けず、初めて漢江を散策しながら「解毒」にいそしんだ。