2011年12月1日木曜日

閉鎖のお知らせ

今日から12月1日。ブログを続けて約1年となるが、心境の変化と諸事情により今日をもって閉めることにした。
 1年間つたない文章を読んでいただき、ありがとうございました。

2011年11月29日火曜日

36年ぶりの旧交

先週土曜日に36年ぶりの再会を果たした。高校サッカー部の当時ゴールキーパーで、コーチに辞任を求めて、受け入れられず(当然だろうが)、一緒に部を離れた。
 硬いグラウンドで全身をぶつけながら練習をしていたせいで、いつも腰を痛めていたが、37歳まで社会人リーグで現役を続けていたと言う。
 今は、地方にある服飾関連の工場長を、その前までは中国の上海で5年間単身生活を「満喫」したらしい。
 皺は増えたものの、GジャンにJパンといういでたちに、髪の毛も黒い状態で、当時とほとんど変わらないのでびっくりした。
 先方は私が全くわからないほどに変わったといっていたが、その日は約6時間、タイムスリップをさせてもらい、気持ちは完全に高校生だった。
 当時のイレブンたちを集めて、ボールを蹴りながら、同窓会をしたい。
 最近、高校時代の友人からの誘いが多い。50代になると大学や中学より不思議と高校時代が懐かしくなるものらしい。

2011年11月28日月曜日

惨敗

この二人の当選で大阪の未来はどうなるのかというより、圧倒的支持を与えた大阪府民・市民に絶望に近い気持ちをもってしまう。
「大阪都構想」よりも日常的な弱者・敗者斬り捨て政策がハイスピードで徹底的に推し進められることになるだろう。
橋下の真横でうっとりした表情で彼をうっとり見つめている女性は多分妻なのだろうが、非常に印象的だった。
あの恍惚の表情が大阪の未来を明るくすることにはならない。
この絶望感を希望に繋げていくにはどうすればいいのか、まったくわからない。

2011年11月25日金曜日

「ピンポン悲恋」

世界卓球大会で南北の男子ペアーが複式で優勝した。くじ引きによる偶然の結果で、そうなったらしいのだが、それでも嬉しい限りである。
 ちょうど20年前の1991年に千葉の幕張で世界卓球選手権が開催された。
 初の南北統一チームによる出場で、女子が競合中国を破り見事団体優勝したのだが、舞台裏ではさまざまなエピソードがあった。
 今は時効だからいえる話だが、当時取材メンバーであった私の後輩と当時韓国ナンバーワンの女子選手が恋に落ちた。
 約1月にわたる取材を通じて、お互いが強く惹かれたようである。
 彼女が日本で生活するか、後輩が韓国に行くかなどの問題やそれ以外の政治的背景があり、結局その選手は卓球界から身を引き、そして尼寺に数年引きこもり、「悲恋」に終わってしまった。
 これ以上詳しい話はできないが、それ以外にも「南北カップル」が誕生していて、「統一」するその日までと、その後10数年も「未婚」を通したカップルもいたらしい。
 私の後輩は結局、職を辞して他の女性と結婚した。
 このような「分断の悲劇」に終止符を打ちたい。

2011年11月24日木曜日

出張疲れ

先週土曜日から昨日まで関東一円を回っていた。さすがに、疲れがどっと出て昨日の昼からは体も心もまったく動こうとしない。
それでも今回はいいことがあった。
「藤原新也書行展」に行けたことである。アポイントの合間に1時間だけ時間をとれたので会場に飛び込んだ。

震災直後から現地に入り、放射能のへの警笛を鳴らし続けてきた彼の「書行」には言霊というのがぎっしり詰まっていた。
二日酔いの体と心が一瞬でしゃっきとした。是非、大阪でも開催して欲しい。
その後の寄付交渉2件も一発回答を頂いて、久々に気分が高揚した4泊5日間の出張であった。

2011年11月18日金曜日

「ノーブレス・オブリージュ」

「地位が高いものの義務」と言う意味で、最近よく耳にする。今日の朝刊に韓国で大統領候補として急浮上・人気急上昇しているソウル大の教授が約121億円を貧困家庭の子どもたちにと寄付をするとの記事が掲載されていた。
 パチンコマルハンの会長も個人資産を全額約1000億円らしいが寄付するという報道もあり、何か「寄付文化」が少しずつ浸透しているのかなという気がする。
 今回の大震災が日本国内だけでなく、個々人の生き方や価値観に決定的な影響を与えているのかなとつい深読みしてしまう。
 税制面でも今まで認められなかったNPO法人や学校法人(各種学校)への寄付も限定的だが始めて寄付金が税控除となった。
 個人の意識と社会制度の二つが相互作用すれば、これは文化となる。
 長期的にはわが学園にとっても朗報であるが、早くそのおこぼれにありつきたい。

2011年11月17日木曜日

「清き一票」

今回の大阪府知事・市長選ほど選挙権のないことを悔やむ。自分たちが住む地域であり、また愛着がある地方都市の未来を決する重要局面に指をくわえて、ただ評論しかできない状況に苛立ちを感じてしまう。
やはり、この気持ちは法律や人権という大上段の議論以前の、自然な感情のような気がしてきた。
故金敬得弁護士が国政選挙は韓国で、地方選挙は日本でという主張をされていたが、前者は実現したが、後者はまったくメドが立っていない。
福岡高裁が永住外国人の生活保護を権利として初めて認めたが、ほっとした。最近では珍しくまともな判決が下された。永住外国人の地方参政権も約20年前に最高裁で「違憲ではない」という判断が出されているのだが、立法はまったく動きを見せていない。
民衆党政権で実現しないのであれば、公明党、共産党、社民党が政権を握るまで待つしかないのかなと思うと、多分生きている間に日本の地で「清き一票」は無理だなと絶望してしまう。