2011年11月29日火曜日

36年ぶりの旧交

先週土曜日に36年ぶりの再会を果たした。高校サッカー部の当時ゴールキーパーで、コーチに辞任を求めて、受け入れられず(当然だろうが)、一緒に部を離れた。
 硬いグラウンドで全身をぶつけながら練習をしていたせいで、いつも腰を痛めていたが、37歳まで社会人リーグで現役を続けていたと言う。
 今は、地方にある服飾関連の工場長を、その前までは中国の上海で5年間単身生活を「満喫」したらしい。
 皺は増えたものの、GジャンにJパンといういでたちに、髪の毛も黒い状態で、当時とほとんど変わらないのでびっくりした。
 先方は私が全くわからないほどに変わったといっていたが、その日は約6時間、タイムスリップをさせてもらい、気持ちは完全に高校生だった。
 当時のイレブンたちを集めて、ボールを蹴りながら、同窓会をしたい。
 最近、高校時代の友人からの誘いが多い。50代になると大学や中学より不思議と高校時代が懐かしくなるものらしい。

2011年11月28日月曜日

惨敗

この二人の当選で大阪の未来はどうなるのかというより、圧倒的支持を与えた大阪府民・市民に絶望に近い気持ちをもってしまう。
「大阪都構想」よりも日常的な弱者・敗者斬り捨て政策がハイスピードで徹底的に推し進められることになるだろう。
橋下の真横でうっとりした表情で彼をうっとり見つめている女性は多分妻なのだろうが、非常に印象的だった。
あの恍惚の表情が大阪の未来を明るくすることにはならない。
この絶望感を希望に繋げていくにはどうすればいいのか、まったくわからない。

2011年11月25日金曜日

「ピンポン悲恋」

世界卓球大会で南北の男子ペアーが複式で優勝した。くじ引きによる偶然の結果で、そうなったらしいのだが、それでも嬉しい限りである。
 ちょうど20年前の1991年に千葉の幕張で世界卓球選手権が開催された。
 初の南北統一チームによる出場で、女子が競合中国を破り見事団体優勝したのだが、舞台裏ではさまざまなエピソードがあった。
 今は時効だからいえる話だが、当時取材メンバーであった私の後輩と当時韓国ナンバーワンの女子選手が恋に落ちた。
 約1月にわたる取材を通じて、お互いが強く惹かれたようである。
 彼女が日本で生活するか、後輩が韓国に行くかなどの問題やそれ以外の政治的背景があり、結局その選手は卓球界から身を引き、そして尼寺に数年引きこもり、「悲恋」に終わってしまった。
 これ以上詳しい話はできないが、それ以外にも「南北カップル」が誕生していて、「統一」するその日までと、その後10数年も「未婚」を通したカップルもいたらしい。
 私の後輩は結局、職を辞して他の女性と結婚した。
 このような「分断の悲劇」に終止符を打ちたい。

2011年11月24日木曜日

出張疲れ

先週土曜日から昨日まで関東一円を回っていた。さすがに、疲れがどっと出て昨日の昼からは体も心もまったく動こうとしない。
それでも今回はいいことがあった。
「藤原新也書行展」に行けたことである。アポイントの合間に1時間だけ時間をとれたので会場に飛び込んだ。

震災直後から現地に入り、放射能のへの警笛を鳴らし続けてきた彼の「書行」には言霊というのがぎっしり詰まっていた。
二日酔いの体と心が一瞬でしゃっきとした。是非、大阪でも開催して欲しい。
その後の寄付交渉2件も一発回答を頂いて、久々に気分が高揚した4泊5日間の出張であった。

2011年11月18日金曜日

「ノーブレス・オブリージュ」

「地位が高いものの義務」と言う意味で、最近よく耳にする。今日の朝刊に韓国で大統領候補として急浮上・人気急上昇しているソウル大の教授が約121億円を貧困家庭の子どもたちにと寄付をするとの記事が掲載されていた。
 パチンコマルハンの会長も個人資産を全額約1000億円らしいが寄付するという報道もあり、何か「寄付文化」が少しずつ浸透しているのかなという気がする。
 今回の大震災が日本国内だけでなく、個々人の生き方や価値観に決定的な影響を与えているのかなとつい深読みしてしまう。
 税制面でも今まで認められなかったNPO法人や学校法人(各種学校)への寄付も限定的だが始めて寄付金が税控除となった。
 個人の意識と社会制度の二つが相互作用すれば、これは文化となる。
 長期的にはわが学園にとっても朗報であるが、早くそのおこぼれにありつきたい。

2011年11月17日木曜日

「清き一票」

今回の大阪府知事・市長選ほど選挙権のないことを悔やむ。自分たちが住む地域であり、また愛着がある地方都市の未来を決する重要局面に指をくわえて、ただ評論しかできない状況に苛立ちを感じてしまう。
やはり、この気持ちは法律や人権という大上段の議論以前の、自然な感情のような気がしてきた。
故金敬得弁護士が国政選挙は韓国で、地方選挙は日本でという主張をされていたが、前者は実現したが、後者はまったくメドが立っていない。
福岡高裁が永住外国人の生活保護を権利として初めて認めたが、ほっとした。最近では珍しくまともな判決が下された。永住外国人の地方参政権も約20年前に最高裁で「違憲ではない」という判断が出されているのだが、立法はまったく動きを見せていない。
民衆党政権で実現しないのであれば、公明党、共産党、社民党が政権を握るまで待つしかないのかなと思うと、多分生きている間に日本の地で「清き一票」は無理だなと絶望してしまう。

2011年11月16日水曜日

アウェー

「2軍」編成だが、試合内容は完敗に近い。
 抑制の効いたアナウンサーと観客席に陣取った「北の民衆」の表情をとらえていたカメラアングルがよかった。
 鄭大世が前半で交替させられたが、これも「アウェーの洗礼」なのかなとふと思ってしまった。
   そして、もしあの場で李忠成が同点か逆転ゴールを入れていたら、周辺の反応はどうなるのだろうかななどいろいろ考えさせてくれた。

2011年11月15日火曜日

「我慢」

8月末には高校無償化の適用結果がでると文科省からいわれていたのだが、まだでない。
今日は担当者4名が直接「現地調査」を名目に来校する。
朝鮮学校との関連でずれ込んでいるのだろうが、こちらもガマンの限界に来ている。
「無償化」をうたって生徒募集をすることができれば、家計の負担を減らすことができ、非常に大きな影響を与えるのだが、それがまだできない。
たとえば、600万円以下の所得世帯で大阪府内から通う生徒は年間58万円まで授業料が無償となる。文科省が最大24万円を助成して、残りの34万円を大阪府が負担してくれる。
学校にも経済格差による様々な問題が生じており、奨学金や「足長おじさん」的な対応ではとっても追いつかない。
どうにか11月末までには結論を出してほしい。

2011年11月14日月曜日

衣替え

昨日は半日かけて、衣替えをした。そして、靴も冬期用に入れ替えた。これで、気分はすっかり冬なのだが、気候は22度でまだ初秋の状態である。
半年間の苦労を労るように、服はすべてきれいにたたみ、そして靴は一足ずつ磨きをかける。
めったに家のことはしないというか、できないだけにこれだけはすべて自分の手で行うのが年中行事みたいなものである。
妻も触発されたようで一気に「断捨離」スイッチが入り、大型ゴミ袋を6枚使い切っていた。
夕方からは堺のトレーニングセンターに長男のサッカー試合を久々に見に行った。
朝から晩まで妻と時間を共にしたのは年に数回ぐらいしかないだろう。
やはり、今後数十年のことを考えると、1日のマックスは半日程度が精神衛生上お互いにとっていいのかも知れない。

2011年11月11日金曜日

去勢

先日、鶴橋の駅前で日の丸を掲げながらマイクでがなり立てている連中がいた。「在日特権を許さない会」らしきメンバーのようである。
ばからしくて、その声にはまったく耳を傾けることはしなかったが、長引く不況による経済格差や震災・放射能等による閉塞状況などで直撃されている底辺層の不満・不安が背景にあるのだろう。
それをより社会構造的には底辺層にある民族的マイノリティに意図的にぶつけているようである。
日本だけの特殊な現象ではなくて、ドイツやフランスでも同様なことが起きているが、日本と決定的に違うのはカウンター勢力が必ず声と体で強力に「反撃」している。
日本は「反撃」が弱すぎるのである。
昨日から大阪府知事・市長選が本格的にスタートした。
私は「橋下」個人は大嫌いだが、某保守系の2大週刊誌が「同和・ヤクザ」の出自を前面に出して、彼に対するネガティブキャンペーンを繰り広げていることは許されることでない。
同様にそれに対する「反撃・反論」も弱すぎる気がしてならない。
「右」も「左」もなんか去勢されていているようで、その隙間を上記の「在特会」の輩が跋扈しているのかも知れない。

2011年11月8日火曜日

文化祭

 先週土曜日は文化祭が開催された。天気は曇りから雨となったが、気温が下がらなかっただけでも幸いである。今年の「テーマ」は希望である。


やはり、震災・台風と天災をきっかけにして、日々の生活と価値観を考え直そうということで、生徒たちがこのテーマにしたようである。
定期的に被災地で瓦礫撤去などのボランティア活動を続けている関学の学生達が最新の現地状況を報告してくれた。生徒たちの関心は放射能の人体への影響やタイの洪水など多岐にわたり、ピンポイントの支援活動を続けている大学生達にとっては難しい質問となったが、誠実に受け答えをしてくれた。
最後は生徒たちによる演劇やバンド演奏、民族舞踊等があり、昨年よりはレベルアップしていたが、2時間30分は長すぎた。

2011年11月7日月曜日

初完走

 昨日、第15回大阪淀川市民マラソンに参加した。守口の淀川河川敷公園をスタートして、枚方近辺で折り返し、毛馬の閘門から十三大橋を超えてまた折り返し、スタート地点に戻るというコース設定である。
 タイムは5時間48分で、初完走でものすごく嬉しいが、正直マラソンはこれを最後にしたい。
 ゼッケンには「ペゴリ」と記載されており、数少ない沿道の応援から2回だけ「ペゴリがんばれ!」 と言われたときとゲストの高橋尚子と中間点でハイタッチしたときは全身からアドレナリンが噴出した。(若い女性が意味も知らず「ペゴリ」と叫ぶ姿にはにんまりした)
 
 それでも、25キロ地点からははやりペースダウンとなり、30キロ地点からは太ももの筋肉がパンパンとなり走れないので、早歩きに切り替える。目標時間を6時間以内に設定して、歩いては走ったりの連続で、どうにかゴールインした。
 地下鉄での帰り、手すりがないと階段を降りられず、老人の気持ちがすごくわかった。
 マラソンは本人にも周りの人にも感動を与える素晴らしいスポーツだが、やはり私には登山のほうか向いているようである。
 
 

2011年11月4日金曜日

「本番」3日前

 日曜日の天候は雨模様である。この期に及んで一喜一憂していても仕方ない。
尿酸値も5.7ということで、痛風の症状でないといわれ、これでホルモン類が食べられると、安心したものの、別の原因がなんなのかと考えると不安になり、本番であのしびれと痛みが出てしまうとどうなるのかなと思ったりしてしまう。
そのようなこともあり、昨日からはトレーニングと肝臓は休み、筋肉疲労を緩和することにした。
ハウツウ本には、3日前からはできるだけ炭水化物を多くとるようにといっているが、私の場合はとりすぎてせっかく落とした体重が増えるかもしれない危険性があるので、「額面」通り実践しないことにした。

さて、明日は学校の文化祭で、夜は寄宿舎で宿直ということもあり、アルコールを抜いて熟睡できればどうにか完走できるだろう。

2011年11月2日水曜日

「8年ぶりのパス」

 昨夜、近くの公園で軽く走りこんでいたら、自転車に乗った長男にばったり出くわした。
 制服のままで自転車の籠にはサッカーボールがあった。
 クラブチームの練習と試合がない火・木はいつもここで練習着に着替えて自主練をしているらしい。
 目標の5kを走った後で、足元のボールぐらいしか見えない暗さのグラウンドでもくもくとボールを蹴ったり、リフティングをしている姿を遠巻きで見ていたが、こちらに気がついたようでボールをパスしてきた。
 二人きりでボールを蹴りあうのは多分幼稚園のとき以来なので、8年ぶりであろう。
 最後はフリーキックのゲームをして、私が勝ってしまった。父親の威厳がすこし保たれた。
 先に帰宅したが、その後も練習を続けている彼の努力がしっかりと根付いてほしい。
 

2011年11月1日火曜日

ハロウィン

 昨夜の会食後、久々に自宅近くのイングリッシュパブに行ったら、ハロウィンということで変装した客がいた。マスコットドッグの「ヘンリー」まで着飾っていて緊張していた気持ちが一気に溶解した。
 
 この店のカウンターで常時放映しているヨーロッパのサッカー試合を見ながら、ビールを立ち飲みする時が、「脳死」状態で心地よい。
 今日から11月である。ブログをはじめたのが昨年の11月なので、よくも1年続けた。
 そして今年も残り2ヶ月ということで、一気に忘年会モードに突入となるのだろう。
 今は、今週日曜日までに体重を3kどう落とすかで頭がいっぱいである。