昨日はソウルで零下13度。風も強く、露出している耳、鼻、目、口と穴のあいている部位すべてが痛い。ポケットに手袋をして歩かないと、指先まで痛く感じる。
仁川空港からは昨年12月末に開通した空港鉄道でソウルまで43分で到着した
車内はガラガラで、指定席なので乗務員に確認したら「空席が多いから、どこにでも座ってくれ」といわれた。後ほどわかったのだが、仁川‐ソウル直行便の運賃が13,300ウォン、数駅停車する一般便が3,700ウォンと直行便が約4倍近い差となっていた。
宿は昨年見つけた格安ホテル(旅館?)で、交通の便がいい鐘路にあり、一泊25,000ウォンなので日本円で約2,000円である。朝は食パンとインスタントコーヒーが無料であり、しかも日本への電話も無料である。
老朽化しているがバス・トイレも、テレビ冷蔵庫もあり、韓国では寝るだけの生活なので私にはもってこいである。
極寒の韓国は初めてなので、カイロも靴下に貼るのを使ってみたが、夕方になると効果が薄れていく。
唯一の利点は、酔いの覚めるのが早いことである。焼酎とビールの「爆弾酒」でできあがって、店を出た瞬間に体内のアルコールが凍りつくのか、解毒作用が早まるようである。
日本の寒さがうらやましい。
2011年1月31日月曜日
2011年1月29日土曜日
韓国出張
明日韓国での2次入試があり、今日出発する。
今年はソウルで零下20度まで下がり、電力消費削減のためデパートも18度設定を義務付けられ、違反した場合には罰金という厳しさである。
着膨れ状態で行くしかない。
今回は時間を見つけ出して、韓国の劇場で映画を見たい。10数回以上韓国に行ったが今まで映画館に行ったのは1回だけである。日本と比べると料金も安く、だいたい7~800円程度だ。
さぁ、時間なので出発することにする。
今年はソウルで零下20度まで下がり、電力消費削減のためデパートも18度設定を義務付けられ、違反した場合には罰金という厳しさである。
着膨れ状態で行くしかない。
今回は時間を見つけ出して、韓国の劇場で映画を見たい。10数回以上韓国に行ったが今まで映画館に行ったのは1回だけである。日本と比べると料金も安く、だいたい7~800円程度だ。
さぁ、時間なので出発することにする。
2011年1月28日金曜日
「夢、出会い、感謝」
表題は京谷和幸、40歳の言葉である。Jリーグ発足時の1993年にジェフ市原の選手として活躍していたが、その6ヶ月後に交通事故による下半身不随で車椅子生活に入る。
その後車いすバスケットと出会い、シドニー・アテネ・北京パラリンピックの日本代表選手として3大会連続出場を果たす。
昨日、学校支援者の会社で講演会があり、参加した。
天才プレーヤーとして自他ともに認められていた彼が、絶望の淵からどのように這いあがったのかという話だが、妻の存在を抜きにしては語れない。
冒頭に「私の話を聞かれたら、私より妻に会いたがることになり、そして皆さんは妻を大事にするでしょう」とおっしゃっていたが、まさしくその通りで、2009年にはこの夫婦の物語を軸に映画「パラレル」が上映された。
講演終了後、自問自答した。「自分の苦悩と葛藤は妻により解消・軽減されたことはあったが、妻のそれは自分の存在と役割でどうだったのか」と。
昨年の講師は世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦し、それを自らカメラ撮影しながらインターネット生中継をしている栗城史多氏だった。
企業の自己啓発型研修講演ではあるが、昨年に続き人選が素晴らしい。
その後車いすバスケットと出会い、シドニー・アテネ・北京パラリンピックの日本代表選手として3大会連続出場を果たす。
昨日、学校支援者の会社で講演会があり、参加した。
天才プレーヤーとして自他ともに認められていた彼が、絶望の淵からどのように這いあがったのかという話だが、妻の存在を抜きにしては語れない。
冒頭に「私の話を聞かれたら、私より妻に会いたがることになり、そして皆さんは妻を大事にするでしょう」とおっしゃっていたが、まさしくその通りで、2009年にはこの夫婦の物語を軸に映画「パラレル」が上映された。
講演終了後、自問自答した。「自分の苦悩と葛藤は妻により解消・軽減されたことはあったが、妻のそれは自分の存在と役割でどうだったのか」と。
昨年の講師は世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦し、それを自らカメラ撮影しながらインターネット生中継をしている栗城史多氏だった。
企業の自己啓発型研修講演ではあるが、昨年に続き人選が素晴らしい。
2011年1月27日木曜日
共存共栄
神戸で税理士をしている後輩と一緒に某大手塾の社長にお会いした。
塾の講師からスタートして30数年、数年前にはナスダック上場を果たされた。
そして、昨年は大阪市内の高校を買収し、理事長として教育事業に奔走されている。
学校の立ち上げ時から貴重で手厳しいアドバイスをいただき、いつもお会いすると身を引き締まるような話をしていただける。
まず、相手の話を肯定しながらも、自らの主張でじわっと間違いを気づかせたり、深めたり、広げたりと縦横無尽な話術というか、哲学的思考にはいつも魅了される。
これからどのようなコラボができ、そして「ウィンウィン」の関係が構築できるのか、楽しみである。
塾の講師からスタートして30数年、数年前にはナスダック上場を果たされた。
そして、昨年は大阪市内の高校を買収し、理事長として教育事業に奔走されている。
学校の立ち上げ時から貴重で手厳しいアドバイスをいただき、いつもお会いすると身を引き締まるような話をしていただける。
まず、相手の話を肯定しながらも、自らの主張でじわっと間違いを気づかせたり、深めたり、広げたりと縦横無尽な話術というか、哲学的思考にはいつも魅了される。
これからどのようなコラボができ、そして「ウィンウィン」の関係が構築できるのか、楽しみである。
2011年1月26日水曜日
死闘
ワンサイドゲームではないと思っていたが、素晴らしい試合だった。
最後のPK戦は運と気合なので、仕方ない。
冷静に見れば、やはり日本の決定的局面が多いような気がした。
韓国は若手を中心にして、これから経験を積んで行けば、日本以上に強いチームとなる可能性を感じた。
18歳のソン・フンミン、21歳のク・チャチョルは注目株である。
個人的にはパク・チソンの最後の代表試合でもあり、また100試合目でもあったので、有終の美を飾ってほしかった。
パク・チソンの父は息子の身長を伸ばすために、会社員をやめ、肉屋さんを始めたのだが、一番いい肉を息子に与え続けたばかりにすぐに店を閉めることになったことは彼の自叙伝に記されていた。身長はそんなに伸びなかったが、彼のずば抜けたボディバランスは父親の涙ぐましい努力のおかげかもしれない。
一方、オーストラリアはウズベキスタンを6-0の大差で下し、決勝進出した。
決勝戦は日本を応援しよう。
最後のPK戦は運と気合なので、仕方ない。
冷静に見れば、やはり日本の決定的局面が多いような気がした。
韓国は若手を中心にして、これから経験を積んで行けば、日本以上に強いチームとなる可能性を感じた。
18歳のソン・フンミン、21歳のク・チャチョルは注目株である。
個人的にはパク・チソンの最後の代表試合でもあり、また100試合目でもあったので、有終の美を飾ってほしかった。
パク・チソンの父は息子の身長を伸ばすために、会社員をやめ、肉屋さんを始めたのだが、一番いい肉を息子に与え続けたばかりにすぐに店を閉めることになったことは彼の自叙伝に記されていた。身長はそんなに伸びなかったが、彼のずば抜けたボディバランスは父親の涙ぐましい努力のおかげかもしれない。
一方、オーストラリアはウズベキスタンを6-0の大差で下し、決勝進出した。
決勝戦は日本を応援しよう。
2011年1月25日火曜日
「息もできない(韓国名:똥파리」
昨夜京都で学園理事でもある寺脇研さんと会食した。
元文科省審議官で、現在は京都造形芸術大学の教授である。もちろん専門は教育であるが、それ以上に「映画」への造詣が深く、韓国映画はほとんど見ておられる。そういうことも幸いしたのか、大学では教育論ではなくて映画論を教えている。
1日に4~5本を劇場で観る日もあるらしく、全くそれが苦痛ではないというのでさすがプロである。
昨日初めて知ったのだが、韓国映画の「息もできない」が「キネマ旬報ベストテン」と「毎日映画コンクール」で外国映画ベストワンに選ばれた。
昨年、劇場に足を運んで直接見て、感動というか衝撃を受けた映画だけに嬉しい。
その映画の監督でもあり、また主演でもあるヤン・イッチュン氏が最も影響を受けたのが、日本の映画であり、とりわけ東映のやくざ映画に惚れ込んでいたらしい。
寺脇さんが彼に50本近い日本映画をせっせと送っていたことも同時に知った。
日・韓の文化交流と人的ネットワークの深さを改めて実感した。
元文科省審議官で、現在は京都造形芸術大学の教授である。もちろん専門は教育であるが、それ以上に「映画」への造詣が深く、韓国映画はほとんど見ておられる。そういうことも幸いしたのか、大学では教育論ではなくて映画論を教えている。
1日に4~5本を劇場で観る日もあるらしく、全くそれが苦痛ではないというのでさすがプロである。
昨日初めて知ったのだが、韓国映画の「息もできない」が「キネマ旬報ベストテン」と「毎日映画コンクール」で外国映画ベストワンに選ばれた。
昨年、劇場に足を運んで直接見て、感動というか衝撃を受けた映画だけに嬉しい。
その映画の監督でもあり、また主演でもあるヤン・イッチュン氏が最も影響を受けたのが、日本の映画であり、とりわけ東映のやくざ映画に惚れ込んでいたらしい。
寺脇さんが彼に50本近い日本映画をせっせと送っていたことも同時に知った。
日・韓の文化交流と人的ネットワークの深さを改めて実感した。
2011年1月24日月曜日
ダブル勝利
土曜日の夜は韓国とイラン戦が延長のため、朝の4時ごろまでテレビ観戦した。
延長戦で目の覚めるようなシュートで韓国が1点をもぎ取り、25日の午後10時から対日本戦となる。
正直、韓国が今の日本に勝てる可能性は低い気がするが、サッカーは実力通りの結果が伴わない場合が多いので楽しみだ。
そして日曜日は眠たい目をこすりながら、昼から、「大阪市長杯」の2回戦に進出した小学校のサッカー試合を観戦した。
長男はクラブチームがメインなので、小学校のサッカー部の練習にほとんど参加できず、日程があえば「助っ人」で飛び入りするという状況である。
試合は2対1で勝利して、3回戦進出の運びとなった。
韓国も小学校も勝ってサッカーの勝利に酔いしれた2日間であった。
そしてしっかり1週間の練習不足を補うだけの、走りこみもみっちりおこなって、心地よい筋肉痛で目覚めた月曜の朝である。
延長戦で目の覚めるようなシュートで韓国が1点をもぎ取り、25日の午後10時から対日本戦となる。
正直、韓国が今の日本に勝てる可能性は低い気がするが、サッカーは実力通りの結果が伴わない場合が多いので楽しみだ。
そして日曜日は眠たい目をこすりながら、昼から、「大阪市長杯」の2回戦に進出した小学校のサッカー試合を観戦した。
長男はクラブチームがメインなので、小学校のサッカー部の練習にほとんど参加できず、日程があえば「助っ人」で飛び入りするという状況である。
試合は2対1で勝利して、3回戦進出の運びとなった。
韓国も小学校も勝ってサッカーの勝利に酔いしれた2日間であった。
そしてしっかり1週間の練習不足を補うだけの、走りこみもみっちりおこなって、心地よい筋肉痛で目覚めた月曜の朝である。
2011年1月22日土曜日
新記録
昨夜は韓国から知人の弁護士が来て、久々の再会を楽しんだのだが、夕方に突然電話があり、下戸の友人との新年会を早く切り上げて合流した。
ある在日1世の韓国内での裁判を彼が受任したので、来日したのだが、もし勝訴すると在日社会にとっては画期的なことになるであろう。
ところで、昨夜だけはノンアルコールで過ごせると思っていたのだが、伏兵ありで、新記録を更新しそうである。
マラソンの練習も今週はほとんどできずじまいで、こんな調子では3月初旬のフルマラソン挑戦も危うい。
お酒ではなくて、マラソンで新記録を達成できるように生活のリズムを変えなければならない。
ある在日1世の韓国内での裁判を彼が受任したので、来日したのだが、もし勝訴すると在日社会にとっては画期的なことになるであろう。
ところで、昨夜だけはノンアルコールで過ごせると思っていたのだが、伏兵ありで、新記録を更新しそうである。
マラソンの練習も今週はほとんどできずじまいで、こんな調子では3月初旬のフルマラソン挑戦も危うい。
お酒ではなくて、マラソンで新記録を達成できるように生活のリズムを変えなければならない。
2011年1月21日金曜日
エール
昨年自己破産をした友人と会った。裸一貫で全く畑違いの分野で商品を特許化して進出したのであるが、3年もたなかった。 一時は自殺という選択肢まで真剣に考えたという。
今は65歳に目標を立て、そこから逆算してどうするか、再起というか再生のための人生計画を練り直し、沈思熟考を繰り返している。
絶望から立ち上がる時、彼の場合は「家族」の存在と、「社会と繋がっていたい」という欲求が大きな要因となったと言っていた。
私も65歳の自分を想像して現在、5年後、そして「還暦」をどのように通過して、その日を迎えるのか彼のおかげで自問自答できた。
時折見せる不安の陰りより、ふっきれた友の表情に希望を垣間見た。
今は65歳に目標を立て、そこから逆算してどうするか、再起というか再生のための人生計画を練り直し、沈思熟考を繰り返している。
絶望から立ち上がる時、彼の場合は「家族」の存在と、「社会と繋がっていたい」という欲求が大きな要因となったと言っていた。
私も65歳の自分を想像して現在、5年後、そして「還暦」をどのように通過して、その日を迎えるのか彼のおかげで自問自答できた。
時折見せる不安の陰りより、ふっきれた友の表情に希望を垣間見た。
2011年1月19日水曜日
東京雑感
今日で東京出張3日目である。
街を歩いていて、一番感じることは中国語がよく耳に飛び込んでくることと、インド系の外国人が目につくことである。
会う人の口からは「日本の経済はこれ以上良くならないことを前提にして事業計画を考えなければならない」と悲観論が多く出されていた。
そのような中でも在日コリアンの若手企業家たちは元気がよい。もともと制度的恩恵や既得権から排除されていただけに、既存の秩序や価値観が大きく揺らぎ始めると強さが発揮できるようである。その彼らに最も影響を与えている人物がやはり「孫正義」である。
数日前にやしきたかじんの番組に出ていたが、その飾り気のない語り口は魅力的であり、そして最近は「出自」について積極的に発言している。
幼いころの差別と貧困の話をしている時のやしきたかじんの表情が印象的であった。
できれば彼にも「カミングアウト」をしてほしい。
街を歩いていて、一番感じることは中国語がよく耳に飛び込んでくることと、インド系の外国人が目につくことである。
会う人の口からは「日本の経済はこれ以上良くならないことを前提にして事業計画を考えなければならない」と悲観論が多く出されていた。
そのような中でも在日コリアンの若手企業家たちは元気がよい。もともと制度的恩恵や既得権から排除されていただけに、既存の秩序や価値観が大きく揺らぎ始めると強さが発揮できるようである。その彼らに最も影響を与えている人物がやはり「孫正義」である。
数日前にやしきたかじんの番組に出ていたが、その飾り気のない語り口は魅力的であり、そして最近は「出自」について積極的に発言している。
幼いころの差別と貧困の話をしている時のやしきたかじんの表情が印象的であった。
できれば彼にも「カミングアウト」をしてほしい。
2011年1月18日火曜日
プロの記憶
昨夜、池袋での会食後に一人で大塚駅まで行き、20代に数年住んでいた周辺をぶらっと散歩した。
もちろん、当時の「社員寮」は跡形もなくなっており、一戸建て住宅が立ち並んでいた。
その中でも変わらぬ「バー」があった。20数年ぶりで懐かしくなり、ふらっと入った。
店の奥に少し皺と白髪の多くなったマスターが昔のままで立っていたが、こちらからは声をかけず、ドライマティーニを飲みながらほろ苦い感傷に浸っていた。
そこから抜け出たころ合いを計ったように、マスターが「昔、よく来られていましたよね」と声を掛けてきた。
よく奥のテーブル席を占拠して喧々諤々の議論をしていたので、印象に残っていたのだろう。
そのマスターも62歳となり、後継者らしい青年バーテンダーと二人で店を繋いでいる。
この店で20代の時間を取り戻すことができたが、昨夜杯を重ねすぎて、今朝は頭痛で50代の現実を突き付けられている。
もちろん、当時の「社員寮」は跡形もなくなっており、一戸建て住宅が立ち並んでいた。
その中でも変わらぬ「バー」があった。20数年ぶりで懐かしくなり、ふらっと入った。
店の奥に少し皺と白髪の多くなったマスターが昔のままで立っていたが、こちらからは声をかけず、ドライマティーニを飲みながらほろ苦い感傷に浸っていた。
そこから抜け出たころ合いを計ったように、マスターが「昔、よく来られていましたよね」と声を掛けてきた。
よく奥のテーブル席を占拠して喧々諤々の議論をしていたので、印象に残っていたのだろう。
そのマスターも62歳となり、後継者らしい青年バーテンダーと二人で店を繋いでいる。
この店で20代の時間を取り戻すことができたが、昨夜杯を重ねすぎて、今朝は頭痛で50代の現実を突き付けられている。
2011年1月17日月曜日
新幹線遅延
今日から東京出張だが、雪のため1時間近く遅れそうである。
イライラしていても仕方ないので、鈍行並みに速度を落とした新幹線から眺める雪景色もなかなか普段見られないだけあって数十分ぼんやり眺めていた。
田舎だと除雪車を先頭にして、その後を乗用車が数台列をなしていた。
雪の積もった田畑は害虫の発生を抑えやすいのか、雪が多い年は豊作だと聞いたことがある。
真っ白な雪をみながら、阪神大震災で亡くなった私の先輩・知人達、そして知らない人たちにふと思いを馳せた。
降り続ける無数の粉雪の一つ一つが犠牲者の魂となって地上に降りてきているようである。
そして足もとで溶けながら「私たちの分まで生きろ」と囁き続けているのだろう。
残された人の心まで「豊作」にしてくれている。(合掌)
イライラしていても仕方ないので、鈍行並みに速度を落とした新幹線から眺める雪景色もなかなか普段見られないだけあって数十分ぼんやり眺めていた。
田舎だと除雪車を先頭にして、その後を乗用車が数台列をなしていた。
雪の積もった田畑は害虫の発生を抑えやすいのか、雪が多い年は豊作だと聞いたことがある。
真っ白な雪をみながら、阪神大震災で亡くなった私の先輩・知人達、そして知らない人たちにふと思いを馳せた。
降り続ける無数の粉雪の一つ一つが犠牲者の魂となって地上に降りてきているようである。
そして足もとで溶けながら「私たちの分まで生きろ」と囁き続けているのだろう。
残された人の心まで「豊作」にしてくれている。(合掌)
2011年1月15日土曜日
長女の誕生日
昨日長女が22歳となった。家族の誕生日はいつもケーキだけ買ってきてお祝いをしてあげるのだが、バイトと友人たちのお祝いがあり、今年はしなくていいということになった。
長女が生まれた時は、たまたま「新年講習会」に参加していて生後3日目に病院へ行った。そして次女と長男のときは東京に単身赴任中で対面が1週間後であった。
さすが、長女の時は妻に恨まれたが、後は全く反応なしというか諦めたようである。
妻に仕込まれて高校までピアノに励んでいたが、ファッションに自分の適性を見出したようで、あっさり大学からはそちらの世界にどっぷりつかり、短大卒業後はブライダル系の会社で、その後退職してスキルアップするといって1年間専門学校に通った。
そして4月からは半年間アメリカに語学留(遊)学に行くという。
「アメリカには行くな、行くならアジアの英語圏に行け」と説得を試みたが、馬耳東風であった。
親から見たら、やりたい放題だが、自分のお金で行くというので文句も言えない。
「米帝国主義」は「死語」なって久しいようである。
長女が生まれた時は、たまたま「新年講習会」に参加していて生後3日目に病院へ行った。そして次女と長男のときは東京に単身赴任中で対面が1週間後であった。
さすが、長女の時は妻に恨まれたが、後は全く反応なしというか諦めたようである。
妻に仕込まれて高校までピアノに励んでいたが、ファッションに自分の適性を見出したようで、あっさり大学からはそちらの世界にどっぷりつかり、短大卒業後はブライダル系の会社で、その後退職してスキルアップするといって1年間専門学校に通った。
そして4月からは半年間アメリカに語学留(遊)学に行くという。
「アメリカには行くな、行くならアジアの英語圏に行け」と説得を試みたが、馬耳東風であった。
親から見たら、やりたい放題だが、自分のお金で行くというので文句も言えない。
「米帝国主義」は「死語」なって久しいようである。
2011年1月14日金曜日
「祖国と母国とフットボール -ザイニチ・サッカー・アイデンティティ-」慎 武宏/著
朝鮮学校出身のJリーガーに焦点をあてて、彼らの苦悩と葛藤、そして挑戦を深く、鋭くえぐりだしたノンフィクションである。
川崎フロンターレの鄭大世、ベガルタ仙台の梁勇基、コンサドーレ札幌の李漢宰、大宮アルディージャの安英学、ヴィッセル神戸の朴康造、昨季まで横浜FCでプレーした鄭容臺、ベルマーレ平塚の金永基、鄭大世の兄である鄭二世、京都サンガの金成勇、サンフレッチェ広島の李忠成というそうそうたるサッカーマン達が、韓国と朝鮮、そして日本という祖国と母国の国家代表となり、また目指している背景や家族、知人・先輩の精神世界が胸を打つ。この本を読んで決心したことがある。
前回のブログで長男が某J1のジュニアユースに合格したことは述べたのだが、本人の希望通り4月に立ち上がる「新クラブチーム」に行かせることにした。
最下位の4部リーグから、それも中1しかいないメンバーだけで、どのようなことになるのか全くわからず不安だらけだが、どちらに行くにせよ確約された将来などあり得ないのであれば、基本は「サッカーを楽しむこと」なので、それがそこでは実現できると信じた長男の選択を尊重することにした。
2011年1月13日木曜日
「在留資格」と「再入国許可書」
昨夜、ある男性から相談を受けた。
数年前に離婚をして妻と息子が6歳のときに韓国に帰った。
本人は「特別永住者」だが、韓国に帰ってしまった現在14歳の息子の在留資格はどうなるのかということであった。
本人と同じ「特別永住者」となるのか、別の「在留資格」を付与されることになるのかということだが、別件もあり今日大阪入管に行って、確認したが調査してみるということですぐには回答を得られなかった。
それにしても入管の担当者は原理原則で杓子定規なことしか言おうとせず、確定的な言質をとられることを極度に警戒しているようだ。
ふと昔「朝鮮籍」時代、アメリカに始めて行ったとき入国審査でひと悶着があったことを思い出した。。
韓国からも朝鮮からも当然日本からも旅券を発給してもらえなかったので、アメリカの査証を押してもらった法務省発行の「再入国許可書」を担当官に提出したのであるが、「いったいこれは何なんだ、」と聞かれたので、英語で説明できる自身もなければ、説明してもたぶん理解できないだろうから「お前は、アメリカのビザが本物かどうかだけを審査しろ」といったら、「時間がかかりそうだな。日本語か韓国語の通訳を呼ぶから、どちらかを選べ」と戦闘モードに切り替わった。
後ろの列では10分以上待たされている人たちが露骨に苛立ちを表しており、仕方なく韓国の通訳を呼んで別室でやり取りすることになってしまった。
担当官は「いきなり、お前のアイデンティティは南か北か?」と聞いてきたので、「どちらでもない」と答えたところ、「それでは日本なのか?」とたたみ掛けてきた。
これ以上やり取りすると迎えに来た人を長時間待たせることにもなるので、思いつくがままに「俺は難民で、この再入国許可書は日本政府発行の『難民認定書』だ」と言ったら、「OK,なぜそれを先に言わないのか」ということであっさり幕切れとなった。
そのときに初めて「俺は日本では在日朝鮮人だけど、国際社会では難民なんや」という事実に気づかされた。
数年前に離婚をして妻と息子が6歳のときに韓国に帰った。
本人は「特別永住者」だが、韓国に帰ってしまった現在14歳の息子の在留資格はどうなるのかということであった。
本人と同じ「特別永住者」となるのか、別の「在留資格」を付与されることになるのかということだが、別件もあり今日大阪入管に行って、確認したが調査してみるということですぐには回答を得られなかった。
それにしても入管の担当者は原理原則で杓子定規なことしか言おうとせず、確定的な言質をとられることを極度に警戒しているようだ。
ふと昔「朝鮮籍」時代、アメリカに始めて行ったとき入国審査でひと悶着があったことを思い出した。。
韓国からも朝鮮からも当然日本からも旅券を発給してもらえなかったので、アメリカの査証を押してもらった法務省発行の「再入国許可書」を担当官に提出したのであるが、「いったいこれは何なんだ、」と聞かれたので、英語で説明できる自身もなければ、説明してもたぶん理解できないだろうから「お前は、アメリカのビザが本物かどうかだけを審査しろ」といったら、「時間がかかりそうだな。日本語か韓国語の通訳を呼ぶから、どちらかを選べ」と戦闘モードに切り替わった。
後ろの列では10分以上待たされている人たちが露骨に苛立ちを表しており、仕方なく韓国の通訳を呼んで別室でやり取りすることになってしまった。
担当官は「いきなり、お前のアイデンティティは南か北か?」と聞いてきたので、「どちらでもない」と答えたところ、「それでは日本なのか?」とたたみ掛けてきた。
これ以上やり取りすると迎えに来た人を長時間待たせることにもなるので、思いつくがままに「俺は難民で、この再入国許可書は日本政府発行の『難民認定書』だ」と言ったら、「OK,なぜそれを先に言わないのか」ということであっさり幕切れとなった。
そのときに初めて「俺は日本では在日朝鮮人だけど、国際社会では難民なんや」という事実に気づかされた。
2011年1月12日水曜日
「韓国U13代表」
一昨日、韓国からサッカー留学に来て、「聴講生」として2カ月間KISに通っているハンジニ君を自宅に呼んで、泊めてあげた。
サッカーを始めたのが、小6の8月からだと聞いて驚いた。
その身体能力の高さと素質を評価されたのだろう。反対に技術面が劣るので、それを日本でのサッカー留学で補うことになったような印象を受けた。
高校サッカー決勝戦をテレビ観戦した長男がハンジニ君と近くの公園で練習をしたところ、「スピードがハンパンじゃない」と驚愕していた。
毎日滋賀のクラブチームから戻るのが、夜の11時前、そして朝は6時に起床して縄跳びを1時間、昨日の練習の復習を1時間ほど汗を流してから登校している。
これが韓国全土から50名だけをセレクトしたU13代表の日常生活の一場面である。
そして来日してから1週間もたっていないのだが、昨日韓国から「代表合宿の練習に参加しろ」との連絡が入り、今週末から1週間また韓国に戻るというあわただしい日々である。
サッカーを始めたのが、小6の8月からだと聞いて驚いた。
その身体能力の高さと素質を評価されたのだろう。反対に技術面が劣るので、それを日本でのサッカー留学で補うことになったような印象を受けた。
高校サッカー決勝戦をテレビ観戦した長男がハンジニ君と近くの公園で練習をしたところ、「スピードがハンパンじゃない」と驚愕していた。
毎日滋賀のクラブチームから戻るのが、夜の11時前、そして朝は6時に起床して縄跳びを1時間、昨日の練習の復習を1時間ほど汗を流してから登校している。
これが韓国全土から50名だけをセレクトしたU13代表の日常生活の一場面である。
そして来日してから1週間もたっていないのだが、昨日韓国から「代表合宿の練習に参加しろ」との連絡が入り、今週末から1週間また韓国に戻るというあわただしい日々である。
2011年1月11日火曜日
「成人式」
一昨日は次女の成人式があり、参加した。
今年は地域で10名の在日コリアンが20歳を迎え、100名近い同胞たちが中華料理屋でお祝いした。
美しいチマチョゴリとスーツに身を包んだ新成人たちにとっては政治的混迷と景気低迷という厳しい状況の中で新しい人生の門出を迎えることになった。
順風満帆であろうが、艱難辛苦であろうが、その交互の繰り返しが人生である。
新成人たちが母親と一緒に各テーブルをお酒を注ぎながら回り、挨拶をしている姿をみると、地域コミュニティの大切さを実感する。
「あそこの孫娘さんか」、「こんなに美人になって、うちの息子の嫁にどうや」という会話があっちこっちで飛び交っている。
最後はいつもの「統一列車」で日々の憂さ晴らしでもするように、「歌えや踊れ」のフィナーレとなった。
個室にいた日本人客たちも飛び出してきて、何事かという表情で見守っていた。
今年は地域で10名の在日コリアンが20歳を迎え、100名近い同胞たちが中華料理屋でお祝いした。
美しいチマチョゴリとスーツに身を包んだ新成人たちにとっては政治的混迷と景気低迷という厳しい状況の中で新しい人生の門出を迎えることになった。
順風満帆であろうが、艱難辛苦であろうが、その交互の繰り返しが人生である。
新成人たちが母親と一緒に各テーブルをお酒を注ぎながら回り、挨拶をしている姿をみると、地域コミュニティの大切さを実感する。
「あそこの孫娘さんか」、「こんなに美人になって、うちの息子の嫁にどうや」という会話があっちこっちで飛び交っている。
最後はいつもの「統一列車」で日々の憂さ晴らしでもするように、「歌えや踊れ」のフィナーレとなった。
個室にいた日本人客たちも飛び出してきて、何事かという表情で見守っていた。
2011年1月7日金曜日
'얼굴'이란
韓国から送られてきた知人のメールの内容がよかったので、転載します。
申し訳ありませんがすべてハングルなので、翻訳はしません。
申し訳ありませんがすべてハングルなので、翻訳はしません。
얼 : '영혼'이라는 뜻이고...
굴 : '통로'라는 뜻이 있다고 합니다.
굴 : '통로'라는 뜻이 있다고 합니다.
멍한 사람들을
보면 '얼빠졌다'고 합니다.
죽은 사람의 얼굴과 산사람의
얼굴은 다릅니다.
보면 '얼빠졌다'고 합니다.
죽은 사람의 얼굴과 산사람의
얼굴은 다릅니다.
기분이 좋은 사람의 얼굴과
아주 기분이 나쁜 사람의
얼굴은 다릅니다.
사람의 얼굴은우리 마음의 상태에
따라 달라지게 됩니다.
얼굴은 다릅니다.
사람의 얼굴은우리 마음의 상태에
따라 달라지게 됩니다.
그러니 사람의 얼굴은 마치 영혼이 나왔다
들어왔다 하는 것처럼 바뀝니다.
그러기에 변화 무쌍한 것이 얼굴입니다.
얼굴은 정직합니다.
들어왔다 하는 것처럼 바뀝니다.
그러기에 변화 무쌍한 것이 얼굴입니다.
얼굴은 정직합니다.
첫인상이 결정되는 시간은 5초가 걸린다고 합니다.
첫인상이 결정하는 요소는 외모, 표정, 제스쳐가 80%
목소리톤, 말하는 방법 13%, 그리고
나머지 7%가 인격이라고 합니다.
첫인상이 결정하는 요소는 외모, 표정, 제스쳐가 80%
목소리톤, 말하는 방법 13%, 그리고
나머지 7%가 인격이라고 합니다.
표정이 그 사람의
인생을 결정한다고 합니다.
표정과 감정의 관계는
인생을 결정한다고 합니다.
표정과 감정의 관계는
불가분의 관계입니다.
사람의 얼굴은 근육 80개로 되어 있는데 그 80개의
근육으로 7,000가지의표정을 지을수 있다고 합니다.
우리 신체의 근육 가운데 가장 많이 가지고 있고
근육으로 7,000가지의표정을 지을수 있다고 합니다.
우리 신체의 근육 가운데 가장 많이 가지고 있고
가장 오묘한 것이 바로 얼굴입니다.
그래서 얼굴을 보면 그 사람을 알 수 있답니다.
우리는 그것을 인상이라고 말합니다.
우리의 인상은 어떻게 생기는 것일까요??
우리는 그것을 인상이라고 말합니다.
우리의 인상은 어떻게 생기는 것일까요??
이처럼 시시때때로 변화되어지는 것이
우리들의 모습이겠지요 또한 변화 될 수 있는것도
우리들의 모습이겠지요.
우리들의 모습이겠지요.
서로 잘 통하는 얼굴...
영혼이 잘 통하는 얼굴...
생명이 잘 통하는 얼굴...
기쁨이 잘 통하는 얼굴...
감사가 잘 통하는 얼굴...
희망이 잘 통하는 얼굴...
항상 이런
모습으로 하루하루
새롭게 열어가시길 바랍니다...*^^*
영혼이 잘 통하는 얼굴...
생명이 잘 통하는 얼굴...
기쁨이 잘 통하는 얼굴...
감사가 잘 통하는 얼굴...
희망이 잘 통하는 얼굴...
항상 이런
모습으로 하루하루
새롭게 열어가시길 바랍니다...*^^*
「高校スポーツ」
大阪勢はラグビーで朝鮮高校が準決勝戦で、サッカーでは関大一高がベスト8戦でそれぞれ敗退した。
前者は長女、後者は私の母校でもあり、応援に熱が入った。
これで正月の一大イベントが終わり、心身ともに仕事モードに切り替えることができる。
正月もあっという間だったが、1年と1ヶ月、そして1日と毎年、歳月が過ぎ去るのを早く感じる。
ところで、その年齢を時速に換算して考えると自分なりに納得できた。
50代なら時速50キロで同様に10代なら時速10キロとなり、そのスピード感の違いが歳月の流れとなって感じてしまうのだろう。
その50代の速度で眺める車窓の風景は、残像があまりの残らないだけに、視野に飛び込んできたものすべてを大切に扱いたくなる。
そして、それらを脳裏にしっかり刻み込んで、心の栄養としたい。
それは人であり、自然であり、また自画像であるかもしれない。
「スポーツ観戦」で気持ちが清められたようで、少々ロマンチックな気分になってしまった。
前者は長女、後者は私の母校でもあり、応援に熱が入った。
これで正月の一大イベントが終わり、心身ともに仕事モードに切り替えることができる。
正月もあっという間だったが、1年と1ヶ月、そして1日と毎年、歳月が過ぎ去るのを早く感じる。
ところで、その年齢を時速に換算して考えると自分なりに納得できた。
50代なら時速50キロで同様に10代なら時速10キロとなり、そのスピード感の違いが歳月の流れとなって感じてしまうのだろう。
その50代の速度で眺める車窓の風景は、残像があまりの残らないだけに、視野に飛び込んできたものすべてを大切に扱いたくなる。
そして、それらを脳裏にしっかり刻み込んで、心の栄養としたい。
それは人であり、自然であり、また自画像であるかもしれない。
「スポーツ観戦」で気持ちが清められたようで、少々ロマンチックな気分になってしまった。
2011年1月6日木曜日
「始業式」
今日から学校が始まり、生徒と教職員と久々に顔を会わす。
韓国からはサッカーU13代表の中学1年生が2ヶ月間「聴講生」として通学することになり、また新しいタイプの生徒が入学した。午後3時まで授業を受けて、その後は滋賀県の有名クラブチームで練習に明け暮れるらしい。
韓国でも日本の技術面への憧れというか、評価が非常に高いので、これからはこのように冬休みを利用して短期留学をする生徒が増えていくことだろう。
さて国籍も民族もそして個性も才能も多種多様な生徒と教職員たちが今年はどのようなハーモニーを奏でるのか楽しみである。
韓国からはサッカーU13代表の中学1年生が2ヶ月間「聴講生」として通学することになり、また新しいタイプの生徒が入学した。午後3時まで授業を受けて、その後は滋賀県の有名クラブチームで練習に明け暮れるらしい。
韓国でも日本の技術面への憧れというか、評価が非常に高いので、これからはこのように冬休みを利用して短期留学をする生徒が増えていくことだろう。
さて国籍も民族もそして個性も才能も多種多様な生徒と教職員たちが今年はどのようなハーモニーを奏でるのか楽しみである。
2011年1月5日水曜日
「再棄権」と「韓ドラ」
昨日から会議があり、仕事始めとなった。
年末年始にかけてはフィットネスが休業なので、近所の公園で毎日6k前後インターバルで走り続けた。全速で5分、ジョッキングで5分を繰り返すのだが、2日は長男を無理やり引っ張り出して一緒に走った。
そのときに冗談半分で「3月20日のソウル市民マラソンにエントリーしたから、応援しに来い」と言ったら、「アッパ、その日は卒業式やで」と言われ、昨年に続き2回目の棄権をせざるを得なくなった。
やむを得ず、3月初旬の大阪フルマラソン大会にエントリーすることにした。
閑話休題。
「Road of Number one}という韓ドラを昨年から見始めたが、今朝見た最終回で号泣してしまい、思い出してはまた目頭が熱くなるの繰り返しであった。
戦争にまつわるイデオロギー色を排除して、人間への信頼と人類愛とは何かという普遍的テーマをこれでもかというぐらいに徹底的に掘り下げていた。
これだから韓ドラは怖ろしい。次回5月の連休は何を見ようか楽しみである。
年末年始にかけてはフィットネスが休業なので、近所の公園で毎日6k前後インターバルで走り続けた。全速で5分、ジョッキングで5分を繰り返すのだが、2日は長男を無理やり引っ張り出して一緒に走った。
そのときに冗談半分で「3月20日のソウル市民マラソンにエントリーしたから、応援しに来い」と言ったら、「アッパ、その日は卒業式やで」と言われ、昨年に続き2回目の棄権をせざるを得なくなった。
やむを得ず、3月初旬の大阪フルマラソン大会にエントリーすることにした。
閑話休題。
「Road of Number one}という韓ドラを昨年から見始めたが、今朝見た最終回で号泣してしまい、思い出してはまた目頭が熱くなるの繰り返しであった。
戦争にまつわるイデオロギー色を排除して、人間への信頼と人類愛とは何かという普遍的テーマをこれでもかというぐらいに徹底的に掘り下げていた。
これだから韓ドラは怖ろしい。次回5月の連休は何を見ようか楽しみである。
2011年1月3日月曜日
「供養」
初めて迎える鶴橋でのお正月。
年末は正月の準備を控えて食料調達に来た人たちでごった返し、あるキムチ屋などは50人近く行列ができており、駐車場待ちの車も長い列をなしていた。
31日は妻の命令で買い出しに行ったら、20数年ぶりに後輩と人混みの中でバッタリあったり、八百屋では大学時代の先輩が店先に立っていて、少しおまけしてくれたりと鶴橋ならではの再会があった。
昨日の夕方は法事を終えて、家族・親戚でカラオケに行ったのであるが、娘が「トイレの神様」を歌った。3年前に亡くなった祖母を思い出したようで、最後まで歌いきれない。横にいた大人たちも目が真っ赤になっていた。
最後は全員で「千の風にのって」を大合唱して、亡き祖母と先祖を供養した。
年末は正月の準備を控えて食料調達に来た人たちでごった返し、あるキムチ屋などは50人近く行列ができており、駐車場待ちの車も長い列をなしていた。
31日は妻の命令で買い出しに行ったら、20数年ぶりに後輩と人混みの中でバッタリあったり、八百屋では大学時代の先輩が店先に立っていて、少しおまけしてくれたりと鶴橋ならではの再会があった。
昨日の夕方は法事を終えて、家族・親戚でカラオケに行ったのであるが、娘が「トイレの神様」を歌った。3年前に亡くなった祖母を思い出したようで、最後まで歌いきれない。横にいた大人たちも目が真っ赤になっていた。
最後は全員で「千の風にのって」を大合唱して、亡き祖母と先祖を供養した。
登録:
投稿 (Atom)