2011年2月26日土曜日

燎原の火

 北アフリカの「民衆蜂起」が広がる一方である。
 この要因として新聞紙上では「外国の情報に触れることにより云々」と書かれていたが、ある識者が「自由主義的な外国の情報源(グーグルやユーチューブ)にアクセスできるかどうかではなく、むしろたがいに意見交換ができるかどうかなのだ」と説明して、「民衆が意見交換できる」ことが一連の改革の主要因であると主張していた。
 そして、「自由を求める人々の動きが、国民国家の独立『戦争』から市民階級の『蜂起』へ、そしてネットユーザーの『祝祭』へと移り変わっているのではないか」という仮説を述べていた。
 韓国も約半世紀近い独裁政治から民主化へと体制が大きく変化した背景には、この「意見交換」が活発であったことを思い出させた。
 声高に酒場で政権批判ができなくても、まず心の中で叫び始めることから議論が生まれるのであれば、「北の地」も例外ではい。
 遅いか早いかの違いであって、歴史の流れを強権(狂犬?)だけで抑え込むことができないことは人類の教訓である。
 日本の地にいて安易に「北の民衆よ立ち上がれ」などど扇動はしたくないが、立ち上がったときは責任を果たさなければならないと昨今の北アフリカの息吹を受けて考えさせられた。 
 

2011年2月24日木曜日

改革

 韓国から帰ってきた火曜日はいったん家に荷物を置いたまま、その足で京都まで行った。
 某大手塾の社長との懇親会である。
 最近某私立高校を買収され、理事長として学校の教育現場で改革の陣頭指揮を振るっておられる。
 内田樹氏が教育の改革は「車を運転しながら、エンジンや車体を同時に修理するようなもの」でその困難さを述べておられたが、まったく同感である。
 一歩間違えば、どこかに車体をぶつけるか、あるいは人を傷つけることになる。
 しかし、それをしないでハンドルばっかり握っていれば、安全かといえばそうではないことがまた難しい。
 今週の日曜日が初めての卒業式でマスコミからの注目度も上がっているが、新年度を迎えて、日々「改革の難しさ」を実感している。
 
 
 

2011年2月21日月曜日

代表合宿

 土曜日の夜10時過ぎに南北の軍事境界線近くにある「国家トレーニングセンター」に到着した。

 早速、代表監督に挨拶をしたら、すごいマッチョでその体格と、そしてすぐ上の部屋がチョウ・グワンネ韓国代表監督の部屋だと聞いて驚いた。
 まさしくここが韓国サッカーの「総本山」なのだと実感した。
 施設は8面の人工芝コートに1面の天然芝コートで、素晴らしかった。
 韓国内から約60名の小学6年生が集められた中で、在日コリアンは長男一人だけで、この中から1年かけてレギュラー選手を30名程度に絞り込むようである。
 162センチある長男が小さく見えるほど、3分の2は170センチ以上の選手たちだった。
 翌日の日曜日は午後から練習試合があるというので、見に行った。
 さすが韓国の親たちの熱狂ぶりはすごく、選手以上の人数の観客が観覧席を埋めていた。(100人近く来ていたようだ)
  どうにか後半から試合に出させてもらい、2つのアシストを決めて、存在価値をアピールできたようだ。あと7日間、肉体的にも精神的にも鍛錬されて帰ってくることであろう。
 ところで、この合宿所からすぐ近くの小さい山の頂に「統一展望台」というところがあり、「北の地」を望遠鏡で間近に見られるので、南から北を少しでも眺めたかったのだが、時間がなく次回までお預けとなった。
 それにしてもあの寒さも嘘のような初春の天候で、寒空で2時間も観戦しなくてよかった。
 
 

2011年2月18日金曜日

どたばた

 明日から長男が韓国代表候補U-13合宿に参加する。
 この間、例のごとく日程が3転、4転となり、21日からの予定が17日から27日までと変更された。
 覚悟はしていたものの、これほど振り回されるとは思わなかった。
 航空券の予約だけでも、3,4回は変更した。
 そして、極めつけは17日初日からの参加を求めてきた。たぶん、50人近い韓国内からの召集が基本で、また2月末までは韓国が冬休みなので、1名程度の日本からの参加は想定しないというか、個別事情など考慮しないのは当然であろう。
 しかし、卒業式を控えた学校の行事も休み、また授業も10日ほど抜けるとなると、その調整だけでも大変だ。
 そこで、「17日からは無理で、19日からなら参加可能だ」と韓国サッカー協会の担当者と交渉してもらった。、「参加させない」ということもありうるなと腹をくくって、本人にもその時は「諦めろ」と伝えておいたが、「19日に合宿所に入れるなら参加させる」との回答をもらい、胸をなでおろした。
 これから頻繁に一人で行くことになるだろうが、最初はやはり不安なので明日から代表合宿所がある、軍事境界線近くの「ナショナルトレーニングセンター」まで連れていくことにした。
 妻が担任の先生に話をしたら、「生徒たちには正直に伝えます」といわれ、なぜ「正直」という表現が出てくるのか、困惑した。
 まだ韓国に行くことが「罪人」扱いというか、「後ろめたいこと」のようにとらえている担任先生の認識に愕然とした。
 

2011年2月17日木曜日

王子様達

 長男がエリッククラプトンの公演会場でキヤッチされた映像が流されていた。
 ティシャツ姿で顔艶も良く、やはりメタボだが、「青年大将」よりはスマートだった。
 海外の留学生活を経験して、西側の情報に接しているというか毒されているであろう「王子様」の3名の内、「正男」も「正哲」が後継者から脱落して、なぜ「正恩」となったのかは、「将軍様」が決めたことだが、 私は「正男」君に親近感を感じる。なにか、「フーテンの寅」さん的な生き方を満喫しているようである。
 その贅沢な生活を支えているのが民衆の血と汗という、寅さんとは決定的な違いだけが許せないのだが、彼の立場だと仕方ないだろうと思わせる不思議な魅力をもっている気がしてならない。
 もし「北の体制」が「エジプト状態」になった時、彼はどのような発言をして、行動するのか興味深い。
 それにしても、父親の誕生日に国民は銅像参りしているのに、息子は外遊というところが、ものの見事にこの政権の本質を現わしている。
 

2011年2月16日水曜日

梁石日さん

 学校支援者へのご挨拶と今年の「お願い」のため、 昨日から東京に来ている。  6時37分の新幹線を予約していたが、雪の影響があると判断して、6時の始発に切り替えたのだが、案の定30分も延着したので正解だった。
 前回の東京出張も雪の影響で延着となったので、天候に敏感にならざるを得ない。
 昨夜は久々に自宅で梁石日さんをお会いした
 今年74歳だが、昨年骨折もされたり、足腰も弱くなっているようで、少し「老い」を感じた。
 しかし、今でも月に110枚の原稿を書いておられ、その創作意欲というか超売れっ子作家ぶりは健在であった。
 
 
 

2011年2月15日火曜日

祝勝会

 学園理事長がオーナーを務める女子サッカーチーム「神戸レオネッサ」が正月の決勝戦で見事PK戦を制し、初優勝した。
 その祝勝会が先週金曜日に神戸市内であり、参加した。
  神戸は高校選手権で滝川二高が、そして女子サッカーも全国制覇を成し遂げたせいか、市長自らがメッセージを寄せ、往年の名選手釜本邦茂さんも参加されており、会場は熱気むんむんであった。
 創部10年という史上最短でこの偉業を成しとげたのだから、立派である。
 1世の70代後半のご老体をエスコートして会場に向かったのだが、壇上のチームメンバーをみるや否や「なんで、女子サッカーやなのに男が半分もいるんや?」と真剣に質問されてきたので、壇上近くまでご案内した。そしたら今度は「まだ2人男がおる」といわれるので、まさかと思ったら実際にその通りで、「監督とコーチ」であった。
 確かに、黒のパンツスーツで短髪なので遠くからは男性しか見えないのだが、長居をすると選手と話し出すかもしれないので、タクシーで三宮までお送りして早々に会場を後にした。
   
 
 

2011年2月14日月曜日

スマートフォン

 現在使用中の端末機の契約期間が終了したので、切り替えることにした。
 携帯電話とパソコンが一緒にひっついたようなもので、非常に便利であると思っていたのだが・・・。
 メールが来るたびに通知音がなるのを最初は便利だと思っていたが、ひっきりなしに音がなるので消音にしようとしたが、それができない。
 じっくりマニュアルを読み込んでもよくわからないことが多いので、土曜日は我が家の電話がサポートセンター専用となってしまった。
 でも、これからは間違いなくスマートフォンに移行していくだろう。
 昨日は京都で会議があり、終了後に元韓国政治犯で現在は研究者として活躍されているKさんと久々にお会いした。
 死刑判決を受けて、13年間獄中生活を過ごされたのだが、昨年、韓国裁判所が「冤罪」として正式に認め、「名誉回復」をされた。
 来年還暦を迎えるらと聞いてびっくりしたら、「13年間の時間がストップしているので、実際は46歳ですね」と冗談をおっしゃっていたが、朝鮮半島の現状と展望への鋭い分析と情報収集力は相変わらず凄味があった。
 
 
  
 

2011年2月10日木曜日

22年ぷりの再会

 友人を通じて、会いたいと連絡があり、22年ぶりにお会いした。
 生まれて3カ月の長女と妻を置いて、東京に単身赴任で行くかどうか悩んでいるときに、背中を押してくれた人でもあり、じっくりと貴重な話を聞くことができた。
 すでに75歳となっておられたが、相変わらず矍鑠とされており、歴史から哲学、特に漢文の素養には仰天する。
 会食がすんだ時には、コースターから割りばしの包み紙まですべてがノート代わりになって漢詩で埋め尽くされていた。
 このような方たちが同胞たちの尊敬を受けていたからこそ、民族団体も発展していたのだが、今となってはこの大先輩の言葉を借りるなら「無用の長物化している」ということである。
 噂では離婚もされ、そのために財産もほとんど失い、別の女性と生活をされて久しいと聞いたが、その女性のために熟年離婚して、財産もとられたのか渡したのでであれば生き方としては潔い。
 
  
 

2011年2月9日水曜日

代表合宿

 昨日クラブチーム監督から「韓国サッカーアンダー13の代表合宿に参加しろ」との連絡があった。
 韓国全土から選び抜かれた約50名の現小学6年生達に交じって、どこまで長男ができるのかわからないが、本人は珍しく本田ぶりの「ビッグマウス」で自らの不安を解消しようとしている。
 民族学校に通っているとはいえ、韓国の子どもたちとの会話がスムーズにいくのか、代表監督jとのコミュニケーションはどうなのかという親の不安もあるが、せっかくのチャンスを活用して切磋琢磨してほしい。
 ところで、監督に「いつからどこでおこなうのですか?」と聞いたら、2月21日から1週間という日程は出ているが「場所はまだ決まっていない」という状態で、やっぱり韓国的だなと思ってしまう。
 妻は航空券の手配から学校との折衝とこれから数日間はバタバタ状態で、すでにパニックっている。
 こういうときはこちらも韓国的スタイルに切り替えて、「走りながら考える」のが精神衛生上ベストである。

 
 

2011年2月8日火曜日

黒白灰色

 社会主義を今もって信奉している義父と激論した。
 私は「計画経済」を放棄し「市場経済」を導入した時点で社会主義が最も大切にしている「平等」を否定したことになるので、理念は素晴らしくても現実的意味をすでに失っていると主張したのだが、義父は「まだ社会主義も過度期でいつか資本主義より素晴らしい平等社会を実現するだろう」と思っているようである。
 どちらにせよ、現存の両体制は「平等」どころか「格差」ばっかりを生み出しており、その解消は程遠く、反対に拡大しているのが現実である。
 さすがにお酒が入っていたのでお互いボルテージが上がり、妻に太ももをおもいっきり抓られてようやくトーンダウンとなった。
 人間の根源的な欲求は「平等」より「自由」を求めたことの結果が、東西冷戦の終結となり、そして朝鮮半島の現状となって現れている。
 このことは私がもっとも尊敬する韓国の碩学である故イ・ヨンフィ教授の自叙伝で学ばせてもらった。
 年末に録画したサンデル教授の「白熱教室」をじっくり見て、相対立する概念や事象を哲学的に思考してみたい。
 

2011年2月7日月曜日

新春講演会

 コリアNGOセンター http://korea-ngo.org/ の新年会が土曜にあり、参加した。
 SBJ大阪支店長が「金融危機と経済環境の変化」をテーマに講演した。
 SBJ銀行は韓国新韓銀行が100%出資する日本の銀行で、外資の銀行としてはシティバンクに続き二つ目である。 
 支店長は韓国人であるが、流暢な日本語で日本経済の明るくない展望を述べていた。少子高齢化の影響は当然であるが、それよりも国家戦略の不在がいまの低迷の要因であるなと考えさせらた。特にこの日本の経済規模で外資系銀行が2つしかない事実に驚愕した。
 法的には外資による銀行設立は問題ないのだが、申請から認可まで4,5年かかるので、あえてそこまで時間と労力をかける必要はないと諸外国の金融業界が判断するのでは当然であろう。
 素人目から見ても市場への規制と閉鎖性を打ち破らない限り、経済が活性化しないのは当然であり、「経済は一流、政治は二流」から「経済は二流、政治は三流」と音を立てながら崩落していっているようである。
 
 

2011年2月5日土曜日

北からの年賀状

 旧正月にあわせたようにピョンヤンから年賀状が送られてきた。
 10数年、会っていないというか会えない従兄弟とその長男からであった。
 ホテルの部屋では絶対、本音の話をしなかった。夏はいつも枝垂れ柳の美しいポトン江沿いを散策しながら凄まじい「祖国」の現実を聞かされた。
 1960年代の初め、まだ私が生まれて間もない頃に叔父・叔母達が「新天地」を求めて、日本を去った。
 数年前に「脱北者」の女性の話を聞く機会があった。
 彼女は北朝鮮で一番苦しかったことは「生活苦より『帰胞』(帰国同胞)と呼ばれ、差別されたこと」と言っていた。
 日本でも彼の地でも貧困と差別に苛まれた数十年の歳月が深い皺となって、実年齢以上の容姿に変わり果てた肉親そして9万5000名の「帰国者」たちの人生に想いを馳せてみた。
 我慢強く、純朴ながらも自尊心の高い人たちとは、あの体制が続く限り生きて会えることはないだろう。
 エジプトの熱い息吹がいつか「凍土の共和国」まで届くことを願うしかない。

2011年2月4日金曜日

旧正月(春節)

 昨日は節分ということで、京都での会食後に年輩の相手方から、お土産に太巻きをいただいた。
 「東に向かって3回笑いなさい」と言われたのだが、このような習慣にはまったくなじみがないので、そのまま妻に渡して寝てしまった。(ごめんなさい)
 ところで、中国や韓国では昨日から旧正月で、トップニュースが「民族大移動(帰省ラッシュ)」であった。
 日本は正月やお盆を「陽暦」で過ごすが、アジアの多くの国は「陰暦」で過ごす。
 私の家庭ではこのおかげで長い間、正月と旧正月、お盆と旧盆の2回ずつ、法事(祭事)をしなければならなかった。
 最近では「旧」はしなくたったが、昔、母がよく「どっちかひとつにしてくれたらいいのに」と愚痴をこぼしていたのをおぼえている。
 イスラムのラマダンも「陰暦」にあわせて行うと聞いたことがあるが、この習慣の違いに興味をもってしまう。 

2011年2月3日木曜日

「異質」との共存

 博多で10年近く単身赴任をしている友人から連絡があり、数年ぶりに再会した。
 中国・韓国に近いこともあり、この数年は中国から不動産や土地関係の商談が急激していると言っていた。
 北海道の土地を中国人が買いあさっているとか、対馬にコリアタウンができつつあるので、外国人による土地購入を規制しろと声高に叫び始めているまたぞろの連中がいるが、数年前まで、アメリカの不動産を買いあさっていたのはどこのだれなのかということはすっかり忘れているらしい。
 土地の売買が活発化すれば税収も増えるだろうし、そこでチャイナタウンがもし形成されることがあっても、雇用が生じ、子どもも増えて、地域が活性化するだろうと思う。
 一方で治安が悪くなるという主張もあるが、戦後最大の外国人が居住するようになった日本が戦後最低の凶悪犯罪数という統計が出ている。
 どこの国でも政治が機能麻痺し、経済が行き詰り、社会が閉塞感で満ち溢れてくるとその矛先を外国人に向けていくことはよくあることだが、健全な市民社会はそのような勢力と拮抗する反作用の力も強い。日本はそれが弱すぎるような気がしてならない。
 
 
 
 

2011年2月2日水曜日

在日Jリーガー再考(最高)

 日本に戻ると李忠成の話題でもちきりであった。
 韓国でも当然話題に上ったが、「在日同胞」なんだなという程度の感想だった。
 しかし、彼の生き方は日本社会は当然だが、それよりも在日コリアン社会において大き
な波紋を投げかけたと思う。
 先日のブログでも書いたが、鄭大世は「韓国籍」でありながら朝鮮国家代表の道を選び、安英学も同様でありながら韓国Kリーグの選手として活躍した。
 そして、李忠成は本名で日本国籍を取得して日本国家代表として一躍時の人となった。
 個人的な感情としては「君が代」、「日の丸」を背負ってサッカーをして欲しくなかったというのが本音であるが、彼を見ているとこのような考えが非常に陳腐なものに感じてきてしまうのも事実である。
もちろん彼自身はそんなレベルでサッカー人生を歩んでいるのではないだろう。
 昨年のワールドカップ時の鄭大世が朝鮮の愛国歌を聞きながら号泣していたが、国家へ
の忠誠心ではなくて、それはサッカーに命をかけ、ワールドカップに出たことへの感動であり、喜びであろう。
 この在日Jリーガー達に共通するのは、国籍とか国家という呪縛をものともせず、自らの判断と責任で人生をすごく楽しんでいる、そのすがすがしい姿であり、眩しい表情である。
 当然、その内面世界にはすさまじい葛藤と苦悩があったからこそ、彼らの生きざまに多くの人が拍手喝采を送るのだろう。
 力道山が日本社会に活気を与え、日本人を勇気づけた「在日の元祖」とするなら、その精神が34世に引き継がれ、日本だけでなく朝鮮半島、そして欧米へと拡大している。
 そこに未来の希望と可能性を見いだせる。

곰장어구이(アナゴの地獄焼)

 韓国では結局映画鑑賞はできなかったが、はまった料理がこれである。
 皮をむかれた生アナゴを鉄板の上で焼くのだが、焼きあがったときは見た目がテッチャンかアカセンかなという感じであった。
 口に含むと魚というよりは高蛋白質な肉の食感で、ホルモンのようであった。
 非常に美味で、気に入ったと言ったら翌日も連れていかれたが、不思議と飽きがこなかった。
 滋養強制にもいいということで、特に50代以上には若者の2,3倍以上の効果があると聞かされた。
 そのせいなのか寒さのせいなのかはわからないが、数年ぶりに「鼻血」がテイッシュに滲んでおり、体も軽快である。