2011年2月26日土曜日

燎原の火

 北アフリカの「民衆蜂起」が広がる一方である。
 この要因として新聞紙上では「外国の情報に触れることにより云々」と書かれていたが、ある識者が「自由主義的な外国の情報源(グーグルやユーチューブ)にアクセスできるかどうかではなく、むしろたがいに意見交換ができるかどうかなのだ」と説明して、「民衆が意見交換できる」ことが一連の改革の主要因であると主張していた。
 そして、「自由を求める人々の動きが、国民国家の独立『戦争』から市民階級の『蜂起』へ、そしてネットユーザーの『祝祭』へと移り変わっているのではないか」という仮説を述べていた。
 韓国も約半世紀近い独裁政治から民主化へと体制が大きく変化した背景には、この「意見交換」が活発であったことを思い出させた。
 声高に酒場で政権批判ができなくても、まず心の中で叫び始めることから議論が生まれるのであれば、「北の地」も例外ではい。
 遅いか早いかの違いであって、歴史の流れを強権(狂犬?)だけで抑え込むことができないことは人類の教訓である。
 日本の地にいて安易に「北の民衆よ立ち上がれ」などど扇動はしたくないが、立ち上がったときは責任を果たさなければならないと昨今の北アフリカの息吹を受けて考えさせられた。 
 

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