旧正月にあわせたようにピョンヤンから年賀状が送られてきた。
10数年、会っていないというか会えない従兄弟とその長男からであった。
ホテルの部屋では絶対、本音の話をしなかった。夏はいつも枝垂れ柳の美しいポトン江沿いを散策しながら凄まじい「祖国」の現実を聞かされた。
1960年代の初め、まだ私が生まれて間もない頃に叔父・叔母達が「新天地」を求めて、日本を去った。
数年前に「脱北者」の女性の話を聞く機会があった。
彼女は北朝鮮で一番苦しかったことは「生活苦より『帰胞』(帰国同胞)と呼ばれ、差別されたこと」と言っていた。
日本でも彼の地でも貧困と差別に苛まれた数十年の歳月が深い皺となって、実年齢以上の容姿に変わり果てた肉親そして9万5000名の「帰国者」たちの人生に想いを馳せてみた。
我慢強く、純朴ながらも自尊心の高い人たちとは、あの体制が続く限り生きて会えることはないだろう。
エジプトの熱い息吹がいつか「凍土の共和国」まで届くことを願うしかない。
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