昨夜難波で会食が早く終わったので、一人で軽く飲みに行きたくなった。
自然と足は昨年秋に惜しくも閉店となったワインバーが入っていた雑居ビルにが向いていた。その向かいに美味しい日本酒を取りそろえている店があったので、ふらっと入った。
ここの日本酒は女性主人が直接蔵元まで足を運び、味わったうえで、これと思うものしか置いていないので、安心して飲める。BGMも坂本冬実とか70年代の歌が多くて、酔い心にすうっと入ってくる。
カウンターだけの小さな店だが、しっかりした着物姿の女主人との会話も心地よい。
「GWは?」と聞くと、「東北の蔵元をめぐりながら、ボランティア活動に参加する」という心意気にも惚れた。
2011年4月28日木曜日
2011年4月27日水曜日
落選
10月末の大阪市民マラソンにエントリーしたが、見事落ちてしまった。
誘っていただいた東京の先輩は見事合格というか、当選した。
ほとほと自分はくじ運が悪いなと思う。今まで、宝くじは最高が3,000円ぐらいで、はやり偶然と幸運に人生を掛けてはならないという教えなのであろう。しかし、必然と不運ばかりに掛けるような人生もあまりにも味気ない。
朝日新聞の夕刊に「生きること」というテーマの連載記事があるが、重厚感があり読み応えがある。
その中に「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているのかが問題なのである…」(ビクトール・フランクル「夜と霧」)という言葉があった。
さて、今年のゴールデンウィークは普段の目先のことばかりへの対応と判断から開放されて、じっくり「人生が期待するもの」を実感するための読書と登山に没頭しよう。
誘っていただいた東京の先輩は見事合格というか、当選した。
ほとほと自分はくじ運が悪いなと思う。今まで、宝くじは最高が3,000円ぐらいで、はやり偶然と幸運に人生を掛けてはならないという教えなのであろう。しかし、必然と不運ばかりに掛けるような人生もあまりにも味気ない。
朝日新聞の夕刊に「生きること」というテーマの連載記事があるが、重厚感があり読み応えがある。
その中に「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているのかが問題なのである…」(ビクトール・フランクル「夜と霧」)という言葉があった。
さて、今年のゴールデンウィークは普段の目先のことばかりへの対応と判断から開放されて、じっくり「人生が期待するもの」を実感するための読書と登山に没頭しよう。
2011年4月26日火曜日
200秒の遺言
自らが死の淵にいながらも、被災者のことを思い続けて言葉を絞り出していたスーちゃんに涙した。
青春時代最もはまっていた歌手が麻丘めぐみで次がスーちゃんだった。
キヤンディーズの中では一番ぽっちゃりしていて、まっすぐ見つめる瞳の輝きが美しく、それは晩年まで変わらぬどころか、女優となってからは慈愛まで満ちていた。
「夏目雅子」の名前も遺言に出ていたのが気にかかった。
夫にはなにか取り繕っているにおいを感じてしまい、正直胡散臭さかった。
そしたら今日の女性週刊誌の見出しにすでに愛人と子どもがいるとの記事が掲載されていた。
同時に二人の女性(男性)を愛することができることはいたしかたないが、「遺言」のテープ終了後に映画監督が「カット」といってよく使う「カチンコ?」の小道具を使っているのをみた瞬間、私は妻もそして愛する人(男性)も小道具なんかでは絶対送り出さないぞと思った。
私の気持ちの中ではスーちゃんが永久欠番として断然1位を占めた。
青春時代最もはまっていた歌手が麻丘めぐみで次がスーちゃんだった。
キヤンディーズの中では一番ぽっちゃりしていて、まっすぐ見つめる瞳の輝きが美しく、それは晩年まで変わらぬどころか、女優となってからは慈愛まで満ちていた。
「夏目雅子」の名前も遺言に出ていたのが気にかかった。
夫にはなにか取り繕っているにおいを感じてしまい、正直胡散臭さかった。
そしたら今日の女性週刊誌の見出しにすでに愛人と子どもがいるとの記事が掲載されていた。
同時に二人の女性(男性)を愛することができることはいたしかたないが、「遺言」のテープ終了後に映画監督が「カット」といってよく使う「カチンコ?」の小道具を使っているのをみた瞬間、私は妻もそして愛する人(男性)も小道具なんかでは絶対送り出さないぞと思った。
私の気持ちの中ではスーちゃんが永久欠番として断然1位を占めた。
2011年4月25日月曜日
「一衣帯水」
学校の韓国事務所を正式に設置することになり、先週金曜日からソウル・プサンと回り今日帰ってきた。
やはり2カ月前に比べて、日本人の観光客が少なく感じたが、それ以上に韓国人が日本への入国を相当控えているようだ。
今回は久々のプサン入りということもあって、知人・友人たちの歓待を受けた。
神戸に地形が近く、気質は裏表がなく「本音トーク」の大阪人とよく言われるプサンだが、六甲山のような素晴らしいハイキングコースもあり、また有名な東莱温泉もあり、そして海産物の宝庫でもある。
多分観光案内には出ていない「ヨンファリ」という漁港では海辺の屋台のような店が数十件並んでおり、ナマコ、サザエ、足長だこ、そして最後はアワビのお粥で締めたが、4人で80,000ウォンだから7,000円程度だった。もちろん焼酎とビールも飲んでの価格である。
ところで、ここプサンにも福島原発のような「古里原発」が30数年前から稼働しており、「海雲台」という有名なビーチがその原発地点から14kということもあり、万が一の場合はプサン全体が完全に機能マヒとなると心配していた。また、豊富な海産物も当然日本の海流に乗ってくる魚もあり、やはり韓国と日本は「一衣帯水」ということを実感した。
やはり2カ月前に比べて、日本人の観光客が少なく感じたが、それ以上に韓国人が日本への入国を相当控えているようだ。
今回は久々のプサン入りということもあって、知人・友人たちの歓待を受けた。
神戸に地形が近く、気質は裏表がなく「本音トーク」の大阪人とよく言われるプサンだが、六甲山のような素晴らしいハイキングコースもあり、また有名な東莱温泉もあり、そして海産物の宝庫でもある。
多分観光案内には出ていない「ヨンファリ」という漁港では海辺の屋台のような店が数十件並んでおり、ナマコ、サザエ、足長だこ、そして最後はアワビのお粥で締めたが、4人で80,000ウォンだから7,000円程度だった。もちろん焼酎とビールも飲んでの価格である。
ところで、ここプサンにも福島原発のような「古里原発」が30数年前から稼働しており、「海雲台」という有名なビーチがその原発地点から14kということもあり、万が一の場合はプサン全体が完全に機能マヒとなると心配していた。また、豊富な海産物も当然日本の海流に乗ってくる魚もあり、やはり韓国と日本は「一衣帯水」ということを実感した。
2011年4月20日水曜日
大学との交流
「教えるとは共に希望を語ること、学ぶとは真実を胸に刻むこと」と玄関に大きく掲げられていた。
京都の某芸術大学と本格的な交流をすることになった。84歳の理事長だが、芸術で平和をもぎ取るとの信念はゆるぎない。
朝鮮戦争のときは、身を賭して日本からの物流をストップさせ、数年間監獄での生活を余儀なくされた。
学園の竣工式、入学式、卒業式には必ず参席され、生徒と教職員に「喝」を入れてくれる。
それでいて、AKBの生みの親である秋元康を副学長に迎え、学内で彼女たちの公演も仕掛けたりと経営者としての手腕もすばらしい。
私に芸術的素養があるのなら、通信でも通いたい大学である。
京都の某芸術大学と本格的な交流をすることになった。84歳の理事長だが、芸術で平和をもぎ取るとの信念はゆるぎない。
朝鮮戦争のときは、身を賭して日本からの物流をストップさせ、数年間監獄での生活を余儀なくされた。
学園の竣工式、入学式、卒業式には必ず参席され、生徒と教職員に「喝」を入れてくれる。
それでいて、AKBの生みの親である秋元康を副学長に迎え、学内で彼女たちの公演も仕掛けたりと経営者としての手腕もすばらしい。
私に芸術的素養があるのなら、通信でも通いたい大学である。
2011年4月19日火曜日
①4.3②4.15③4.19④4.24⑤4.25
これは工作員が隠し持っている「乱数表」ではない。
しかし、この五つの4から始まる数字を見てピンと来る人は筋金入りの工作員である。
①は済州島最大の悲劇、②は北朝鮮最大の名節、③は韓国民主化の出発点、④在日民族教育の原点、⑤は伏せておく。
4月は朝鮮半島の戦後歴史において象徴的な出来事が多い。
今日はあの「4.19学生革命」から51周年となる。学生時代は毎年この時期になると、大阪市内で集会とデモ行進をした。
集会では慣れない朝鮮語の下書きを丸暗記しようと精神統一に余念なく、「声闘(성토)」というアジテーションを行ったときの高揚感は不思議と今も胸を熱くする。
その後約2時間市内を練り歩き、大声でスローガンを叫び続けた後の心地よい疲労感は明日への活力となった。
不思議と4月になると上記①から⑤の時代に自分をタイムスリップさせてしまう。
しかし、この五つの4から始まる数字を見てピンと来る人は筋金入りの工作員である。
①は済州島最大の悲劇、②は北朝鮮最大の名節、③は韓国民主化の出発点、④在日民族教育の原点、⑤は伏せておく。
4月は朝鮮半島の戦後歴史において象徴的な出来事が多い。
今日はあの「4.19学生革命」から51周年となる。学生時代は毎年この時期になると、大阪市内で集会とデモ行進をした。
集会では慣れない朝鮮語の下書きを丸暗記しようと精神統一に余念なく、「声闘(성토)」というアジテーションを行ったときの高揚感は不思議と今も胸を熱くする。
その後約2時間市内を練り歩き、大声でスローガンを叫び続けた後の心地よい疲労感は明日への活力となった。
不思議と4月になると上記①から⑤の時代に自分をタイムスリップさせてしまう。
「大人の流儀」
伊集院静のエッセーを読み終わった。
昨夜テレビのチャンネルを触っていたらBSで「女優夏目雅子」の特集番組をしていた。
後半しか見れなかったが、ラストはやはり伊集院静とのなりそめと婚約、そして闘病生活だった。
私が知らなかったのは、伊集院静はもともと「趙」という本名で作品を発表していて、それを読んだ夏目が関心を持って、映画監督の篠田にこの「在日男性」と結婚したいと相談していたことだ。
そして、篠田に彼女は「結婚式にはチマチョゴリを着たい」とも言っていたらしい。
夏目雅子に篠ひろ子という世間の男たちを虜にした女優を虜にするこの作家が羨ましいというよりは、怖ろしく感じる。その凄みというか、底知れぬ精神世界が彼の作品を際立たせている。
私が女性なら「怖いもの見たさ」も手伝って、はやりほれ込んでしまうだろうな・・・。
昨夜テレビのチャンネルを触っていたらBSで「女優夏目雅子」の特集番組をしていた。
後半しか見れなかったが、ラストはやはり伊集院静とのなりそめと婚約、そして闘病生活だった。
私が知らなかったのは、伊集院静はもともと「趙」という本名で作品を発表していて、それを読んだ夏目が関心を持って、映画監督の篠田にこの「在日男性」と結婚したいと相談していたことだ。
そして、篠田に彼女は「結婚式にはチマチョゴリを着たい」とも言っていたらしい。
夏目雅子に篠ひろ子という世間の男たちを虜にした女優を虜にするこの作家が羨ましいというよりは、怖ろしく感じる。その凄みというか、底知れぬ精神世界が彼の作品を際立たせている。
私が女性なら「怖いもの見たさ」も手伝って、はやりほれ込んでしまうだろうな・・・。
2011年4月18日月曜日
東京と春山
18年間に及ぶ日本での生活に終止符を打って知人の韓国夫婦が子どもを連れて帰国することになった。放射能が怖くてと思ったが、そうではなく複雑な事情を抱えていた。
その送別会が土曜日に東京であり、久々に東京駅に降り立った。
土曜日の夕方だが、やはり人は少なく、エスカレータはすべて節電のためストップしていた。
年寄りとか荷物の多い人は大変だなと感じる。
日曜日は6時の始発で大阪に戻り、家族と親戚を引き連れて生駒の登山。桜、椿、木蓮とこの時期の山は本当に美しい。帰りはいつもの「音花温泉」で疲れを癒したつもりだったが、さすがに今朝は頭の芯が重い。
その送別会が土曜日に東京であり、久々に東京駅に降り立った。
土曜日の夕方だが、やはり人は少なく、エスカレータはすべて節電のためストップしていた。
年寄りとか荷物の多い人は大変だなと感じる。
日曜日は6時の始発で大阪に戻り、家族と親戚を引き連れて生駒の登山。桜、椿、木蓮とこの時期の山は本当に美しい。帰りはいつもの「音花温泉」で疲れを癒したつもりだったが、さすがに今朝は頭の芯が重い。
2011年4月14日木曜日
長女の旅立ち
今日から約9ヶ月間アメリカのロスアンゼルスにて語学留学の生活を送る。
「留学」なのか「遊学」なのかよくわからないが、親には頼らず、アルバイトと親戚からの「融資」で行くと言うので、反対はできなかった。
帰ってきてからはすでに過酷なブライダル系の会社での就職も決まっているので、最後のスキルアップのつもりで語学とファッション感覚に磨きをかけたいらしい。
さすがに、最後は母親に抱きついて泣いていた。それを横で見ていた次女ももらい泣きしていたが、私は「今生の別れ」となる「帰国」でもないのに、何を大げさにと不思議な表情で眺めていた。
長女の不在が次女の自立につながればとひそかに手を合わせた。
「留学」なのか「遊学」なのかよくわからないが、親には頼らず、アルバイトと親戚からの「融資」で行くと言うので、反対はできなかった。
帰ってきてからはすでに過酷なブライダル系の会社での就職も決まっているので、最後のスキルアップのつもりで語学とファッション感覚に磨きをかけたいらしい。
さすがに、最後は母親に抱きついて泣いていた。それを横で見ていた次女ももらい泣きしていたが、私は「今生の別れ」となる「帰国」でもないのに、何を大げさにと不思議な表情で眺めていた。
長女の不在が次女の自立につながればとひそかに手を合わせた。
2011年4月13日水曜日
ある青年
神戸からの最終電車での帰り、自宅マンションの前で一人の青年が座っていた。
よく見ると、昔学校にいて転向した男子生徒だった。
その回りには散らばったタバコの吸殻と洋酒のボトルがあった。大学受験にもどうにか合格したとのうわさも聞いていたので、「大学どうや?」と聞いても上の空でまともな返事が返ってこない。
「オモニは元気か?」と尋ねたら、表情が突然硬くなり、視線が険しくなった。何かあったのだとピンときたので会話を打ち切って帰宅したところ、妻が開口一番、「さっき駐車場で親子が罵り合いの喧嘩をしていて、息子がものを投げつけていたので、じぃっと見ていたら〇〇〇君やったからびっくりした」と言ってきた。
生後まもなく父親が行方をくらまし、母子家庭で育ってきたので「母親」は絶対的な存在で「最後の砦」だった。その母親とそこまで悪化しているとは・・・。
彼のうつろな表情はすべてを失くしてしまったことの絶望感と虚無感だったのだろう。
彼と母親とは直接かかわったことがあるだけに、ずしんと気が重くなり、「何で転校したんや!」と叫びたくなった。
よく見ると、昔学校にいて転向した男子生徒だった。
その回りには散らばったタバコの吸殻と洋酒のボトルがあった。大学受験にもどうにか合格したとのうわさも聞いていたので、「大学どうや?」と聞いても上の空でまともな返事が返ってこない。
「オモニは元気か?」と尋ねたら、表情が突然硬くなり、視線が険しくなった。何かあったのだとピンときたので会話を打ち切って帰宅したところ、妻が開口一番、「さっき駐車場で親子が罵り合いの喧嘩をしていて、息子がものを投げつけていたので、じぃっと見ていたら〇〇〇君やったからびっくりした」と言ってきた。
生後まもなく父親が行方をくらまし、母子家庭で育ってきたので「母親」は絶対的な存在で「最後の砦」だった。その母親とそこまで悪化しているとは・・・。
彼のうつろな表情はすべてを失くしてしまったことの絶望感と虚無感だったのだろう。
彼と母親とは直接かかわったことがあるだけに、ずしんと気が重くなり、「何で転校したんや!」と叫びたくなった。
2011年4月12日火曜日
伊集院静
最近、彼のエッセーと小説にはまっている。
夏目雅子や弟との死別、すさまじいお酒とギャンブルの日々。
どん底を経験したかれの筆致からは濾過された後の透明な瞳と本質を射抜く鋭さを感じる。
日本ではもうこのようなタイプの作家は出てこないのかなと思う。
朝鮮半島という出自も大きき作用しているのであろうが、間違いなく最後の無頼派作家となるだろう。
夏目雅子や弟との死別、すさまじいお酒とギャンブルの日々。
どん底を経験したかれの筆致からは濾過された後の透明な瞳と本質を射抜く鋭さを感じる。
日本ではもうこのようなタイプの作家は出てこないのかなと思う。
朝鮮半島という出自も大きき作用しているのであろうが、間違いなく最後の無頼派作家となるだろう。
2011年4月11日月曜日
焼肉ドラゴン
数年前BSで見ただけであったが、昨日公演を見る機会に恵まれた。
席は役者の息吹がそのまま感じられる最前列で、至極の3時間を過ごせた。
ラストはとどめもなく流れる涙をぬぐうことができず、そのままにしておいた。
今回チケットを取ってくれた友人は真横の席で嗚咽状態で、カーテンコールでは観客全員が総立ちで拍手喝采を送り続けた。
作者の鄭義信とは彼が大学1年生のときにある民族サークルのセミナーで一緒であった。
当然、先方は覚えていないだろうが、私は彼の独特な雰囲気だけは記憶に残っている。
この数年彼の活躍と風貌に触れるたびに、どうしても寺山修二と重なってしまう。
「在日」の歴史、生活、喜怒哀楽がすべて凝縮されており、もし追加公演があれば、すべての知人・友人を誘いたい。
席は役者の息吹がそのまま感じられる最前列で、至極の3時間を過ごせた。
ラストはとどめもなく流れる涙をぬぐうことができず、そのままにしておいた。
今回チケットを取ってくれた友人は真横の席で嗚咽状態で、カーテンコールでは観客全員が総立ちで拍手喝采を送り続けた。
作者の鄭義信とは彼が大学1年生のときにある民族サークルのセミナーで一緒であった。
当然、先方は覚えていないだろうが、私は彼の独特な雰囲気だけは記憶に残っている。
この数年彼の活躍と風貌に触れるたびに、どうしても寺山修二と重なってしまう。
「在日」の歴史、生活、喜怒哀楽がすべて凝縮されており、もし追加公演があれば、すべての知人・友人を誘いたい。
2011年4月9日土曜日
平壌冷麺
2011年4月8日金曜日
さすが桑田
歌手や俳優約50名がようやく立ち上がった。桑田と福山が中心となって「Let' try again」という支援ソングを作詞・作曲したと、昨日の夕刊に出ていた。
癌の克服からまだ日が経っていないが、一時は死を覚悟した人間の行動にエールを送りたいし、もちろんダウンロードして購入する。
先日、ある歌謡番組で大物歌手の無味乾燥な呼びかけについて不快感をもったが、私の叫びが届いたようで気持ちが爽快である。
できれば、この50名が避難所を訪問して、慰問講演をしてくれれば、それをDVDにしてまた支援金につなげていけるだろう。
桑田、福山もう一分張りしてくれ。
癌の克服からまだ日が経っていないが、一時は死を覚悟した人間の行動にエールを送りたいし、もちろんダウンロードして購入する。
先日、ある歌謡番組で大物歌手の無味乾燥な呼びかけについて不快感をもったが、私の叫びが届いたようで気持ちが爽快である。
できれば、この50名が避難所を訪問して、慰問講演をしてくれれば、それをDVDにしてまた支援金につなげていけるだろう。
桑田、福山もう一分張りしてくれ。
2011年4月7日木曜日
第4回入学式
新入生が19名。約3分の一が韓国からの留学生で、中一には日本人生徒もいる。
期待と不安に満ちた少年・少女たちの表情、そしてその姿を食い入るように見つめている保護者の視線、新任教員たちの緊張感が会場全体を包み込んで、独特な雰囲気を醸し出している。
会場の外では桜がほぼ満開となって、新入生を歓迎してくれた。
この生徒たちと教職員の未来と人生を責任持つことの重大性を改めてそして深く心に刻む日であった。
帰宅後に妻に聞いたところ、長男は当日の朝、突然「行きたくない」と言い出したらしい。
小学校の友達と別れて通学することの孤独感を実感して、一気にブルーな気分に戻ったようである。
しかし、学校でいきなり先輩たちとサッカーやバスケットで遊びほけて、夜の8時過ぎまで帰宅しなかった。それで、一気に不安解消となったようである。
いっちょうらいのブレザーとズボンはいきなり泥まみれという高い代償を伴ったが・・・・。
期待と不安に満ちた少年・少女たちの表情、そしてその姿を食い入るように見つめている保護者の視線、新任教員たちの緊張感が会場全体を包み込んで、独特な雰囲気を醸し出している。
会場の外では桜がほぼ満開となって、新入生を歓迎してくれた。
この生徒たちと教職員の未来と人生を責任持つことの重大性を改めてそして深く心に刻む日であった。
帰宅後に妻に聞いたところ、長男は当日の朝、突然「行きたくない」と言い出したらしい。
小学校の友達と別れて通学することの孤独感を実感して、一気にブルーな気分に戻ったようである。
しかし、学校でいきなり先輩たちとサッカーやバスケットで遊びほけて、夜の8時過ぎまで帰宅しなかった。それで、一気に不安解消となったようである。
いっちょうらいのブレザーとズボンはいきなり泥まみれという高い代償を伴ったが・・・・。
2011年4月6日水曜日
実践
昨夜、鶴橋で一杯飲みたいとの連絡が突然入った。
入学式前なので控えようとしていたのだが、場所が鶴橋でとなるとなかなか断れない。
途中から医者の先輩も合流してきて、久々に「在日運動論」の論議となった。
毎回同じ展開となり、最後は「論評」より「実践」というところに落ち着く。
ところで、昨夜車中でNHKの歌謡番組を見ていて(道交法違反?)、被災者への支援という内容で「ふるさと」をテーマにしたような番組の構成だった。ある大物歌手が「白樺青空~」と歌い終わった後に、「頑張ってください、応援しています。」と叫んでいたのだが、無性に腹立たしかった。
今はそんな言葉より、「紅白歌合戦」並みの豪華歌手達が1週間連続でチャリティコンサートをやるなり、慰問公演に駆けつけるなり、「実践」をする時であろう。
昔、ピンクレディがブレークした年の暮れに、紅白歌合戦に選ばれたのだが、彼女たちはその晴れの舞台に立たなかった。その日は前から約束していた「孤児院」での慰問公演を優先させた。
芸能人のみなさん、マイケルジャクソンが「We are the world」を呼びかけた時のような行動でもって被災者を勇気づけて欲しい。
入学式前なので控えようとしていたのだが、場所が鶴橋でとなるとなかなか断れない。
途中から医者の先輩も合流してきて、久々に「在日運動論」の論議となった。
毎回同じ展開となり、最後は「論評」より「実践」というところに落ち着く。
ところで、昨夜車中でNHKの歌謡番組を見ていて(道交法違反?)、被災者への支援という内容で「ふるさと」をテーマにしたような番組の構成だった。ある大物歌手が「白樺青空~」と歌い終わった後に、「頑張ってください、応援しています。」と叫んでいたのだが、無性に腹立たしかった。
今はそんな言葉より、「紅白歌合戦」並みの豪華歌手達が1週間連続でチャリティコンサートをやるなり、慰問公演に駆けつけるなり、「実践」をする時であろう。
昔、ピンクレディがブレークした年の暮れに、紅白歌合戦に選ばれたのだが、彼女たちはその晴れの舞台に立たなかった。その日は前から約束していた「孤児院」での慰問公演を優先させた。
芸能人のみなさん、マイケルジャクソンが「We are the world」を呼びかけた時のような行動でもって被災者を勇気づけて欲しい。
2011年4月5日火曜日
人心一新
昨日からは韓国からの留学生が父母と一緒に来日し、寄宿舎生活の準備を始めた。
部屋の細かいところまで、チェックして部屋替えを求める母親もいる。
かけがえのない子どもを異国の地で生活させるだけあって、当然の親心と受け止めた。
一方、3分の2の教員が入れ替わるとなる新しいスタートとなった。
中国朝鮮族出身の女性も加わり、教員もより多国籍化・多民族化している。
まだ、「産みの苦しみ」は続いているが、ようやく4年目となり、よちよち歩きから、おしめもはずしてしっかりとした2足歩行へと移行できるようになった。
さて、明日は入学式。私も保護者となるが、期待と注目度に見合うだけの内実をよりしっかりと築き上げなければならない。
部屋の細かいところまで、チェックして部屋替えを求める母親もいる。
かけがえのない子どもを異国の地で生活させるだけあって、当然の親心と受け止めた。
一方、3分の2の教員が入れ替わるとなる新しいスタートとなった。
中国朝鮮族出身の女性も加わり、教員もより多国籍化・多民族化している。
まだ、「産みの苦しみ」は続いているが、ようやく4年目となり、よちよち歩きから、おしめもはずしてしっかりとした2足歩行へと移行できるようになった。
さて、明日は入学式。私も保護者となるが、期待と注目度に見合うだけの内実をよりしっかりと築き上げなければならない。
2011年4月4日月曜日
北からの義援金
金正日が日本赤十字社に約800万、そして在日朝鮮人に約4000万円の義援金を送ってきた。
韓国政府からは在日コリアンへの義援金はまだ送られてこない。
金額の大小にかかわらず、このようなことが在日コリアンの北朝鮮への義理を感じさせてしまうのだろう。
いうならば、家庭にはお金も入れず、隣近所には迷惑をかけっぱなしの父親が、ふとした拍子にお土産にお寿司を持って帰ってきたときの感情に近いものがある。
ところで北朝鮮の現状は「万年被災状態」であるといっても過言ではないだろう。
90年代中盤からは餓死者が数十万とも数百万ともいわれているが、今も食糧事情は厳しく、犠牲者が後を絶たない。
もちろん「人災」という側面も否定できないのだが、「原発」を導入した日本政府の政策が間違っているからといってその被災者への支援をしないということにはならない。
まして過去の歴史的責任を考えると今回の大地震を契機に隣国の「被災者」にも暖かいまなざしを向けてほしい。
100億円の個人資産をなげうった孫正義にもお願いしたい。
韓国政府からは在日コリアンへの義援金はまだ送られてこない。
金額の大小にかかわらず、このようなことが在日コリアンの北朝鮮への義理を感じさせてしまうのだろう。
いうならば、家庭にはお金も入れず、隣近所には迷惑をかけっぱなしの父親が、ふとした拍子にお土産にお寿司を持って帰ってきたときの感情に近いものがある。
ところで北朝鮮の現状は「万年被災状態」であるといっても過言ではないだろう。
90年代中盤からは餓死者が数十万とも数百万ともいわれているが、今も食糧事情は厳しく、犠牲者が後を絶たない。
もちろん「人災」という側面も否定できないのだが、「原発」を導入した日本政府の政策が間違っているからといってその被災者への支援をしないということにはならない。
まして過去の歴史的責任を考えると今回の大地震を契機に隣国の「被災者」にも暖かいまなざしを向けてほしい。
100億円の個人資産をなげうった孫正義にもお願いしたい。
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