2011年5月30日月曜日

コリアNGOセンター総会

 土曜日は人権協会と統合してから初めての総会があった。

 在日社会を「代表」する総連・民団がどんどん求心力を失い、過去の既得権と冷戦思考にしがみついている状況で、コリアNGOセンターがその第3局としての位置と役割を保てるのかということが問われていることとその可能性が十分にあることを実感した。
 懇親会では総連・民団を支持する人はもちろん、そうでない人も、そして朝鮮学校・建国学校・コリア国際学園・民族学級を支える人々たちがそれぞれの立場の違いを相互尊重して、次世代育成について共通の課題を共有した。
 この団体の維持発展が在日社会だけでなく、日本社会を活性化させる試金石となるだろう。

2011年5月27日金曜日

「世界記憶遺産」

 今朝の朝刊に韓国の光州事件に関する記録物が登録されたとの記事があった。「否定的な過去の記録も、忘れてはならない人類の貴重な記憶である・・・」とのユネスコ韓国委員会のコメントが胸を打つ。
 私にとっては光州事件当時に忘れることのできない一枚の写真がある。
 戦車の前で額から血を流している青年の横で女性がハンカチでその地を拭いているものである。
 日本で見たときには、学生運動の同士なのかと思っていたのだが、記念館での説明でその男女が「新婚夫婦」であることが判明して、衝撃を受けた。軍人が旅館で宿泊中の新郎を強制的に連れ出し、それを追いかけてきた新妻との説明だった。
 被害者の「記憶」に寄り添うことが、「記録」からは見えてこない歴史の真実が姿を現すことが多い。
 「否定的な過去の記録」を「でっちあげだとか、被害者の数が多すぎる」とかほざいている連中たちにユネスコのコメントを聞かせてやりたいが、馬耳東風だろう。
  

2011年5月26日木曜日

5.25

 昨日の56年前に某民族団体が産声を上げた。人間の年齢にしては壮年であるが、組織としては「後期高齢者」に属するのであろう。
 最近、全盛期の最先端で人生を賭けていた先輩方から不思議と連絡があったり、お会いすることがある。
 現状は「制度疲労」というか、「メルトダウン」であり、その「放射能」を避けようと、どんどんそこから避難する人が増え続けているが、ほかの地域や社会での基盤もなく、まだその「圏内」に踏みとどまっている人たちもいる。
 問題は、「原子炉」を「冷却」しようと命を賭して、「建屋」で作業しようとする人がいなくなっていることである。
 上記の先達たちは過去、その危険性を指摘して、「罷免」か「辞職」した方々である。
 最近、よくこの組織に戻っている自分の姿が夢に出てくるが、「正夢」になってほしくない。
 「大きい生物が生き残るのではなくて、変化できない生物が滅びるのである。」という趣旨の発言をある経営学者が言っていたが、まさしく現状はその速度を加速化している。

2011年5月24日火曜日

「私学振興・共済事業団」

 ここの「私立学校のための融資ガイド」を見ていたら、「各種学校」も校舎増築や校地購入の際にも融資対象となると記載されていた。私の昔の記憶では確か「各種学校」でもいわゆる「外国人学校」は除外されていたとおもっていたが、念のため窓口に連絡をした。
 案の定、「朝鮮学校や中華学校などの外国人学校は適用外で、あくまでも調理師学校や自動車整備などの職業訓練的な教育機関だけが対象です」と言われた。
 パンフレットには「各種学校」でも対象となる過程を懇切丁寧にもきめ細かく掲載していた。「裁量」とか「制度の柔軟な運用」が入り込まないようにしているというか、暗黙かつ巧妙に「外国人学校」を外していると勘ぐってしまう。
 最後に担当者は「文科省の指導により規定している」と、「難癖」をつけられることを事前に察知したかのように言い放って会話を打ち切ってきた。たぶん、同じような問い合わせがあるのだろう。
 この団体から「振興・共済」という文言だけ削ってほしい。
 

2011年5月23日月曜日

授業参観

 先週土曜日は授業参観と保護者懇談会、そして焼肉パーティという朝から大忙しであった。韓国や東京からも保護者が駆けつけてくれた。3年間さまざまことがあったが、ようやく教職員そして保護者同士の一体感が強くなり、信頼関係を構築するいい機会となった。
 焼肉パーテイでは生徒も加わり100人近い参加者が七輪(カンテキ)の煙の中、懇親を深めた。
 個人的にさびしかったのは、アルコールが出なかったことである。「朝鮮学校」では当然のごとくこういう場では提供されていたので、なにかしっくりこなかったのだが、母親たちには好評であったようである。
 その理由は昼からアルコールを飲むと、帰宅後の家事が億劫となる、そして男性連中は大声で議論ばっかりしてだらだら時間が長くなるということだった。
 聞いてみるとなるほどだと頷いた。確かに、焼肉と炊きたてのご飯とキムチだけでも充分おいしかったのだが、せめてノンアルコールビールだけでもと次回は提案したい。
 ※コリア国際学園をFACEBOOKに登録しましたので、お知らせします。

2011年5月20日金曜日

妄想

 同じマンションでちょくちょく出会う男性がいる。見た瞬間、私はたぶん彼じゃないのかなと思ったのだが、向こうは軽く会釈するだけである。
 高校時代に一度クラスが一緒になった程度の間柄である。
 ところが、昨日エレベーターで二人きりとなった。先に彼が乗り込んで、私がその次という状況だったので彼と正面から向き合うことになったのだが、反応がない。仕方なしに声をかけようと思ったが、そのままにした。
 30数年ぶりの再会であるが、男子校だけに同窓会らしきものもなく、当時の友人グループが個別で飲み会をやっているようである。こういう場合にもし「彼」が「彼女」だったら声をかけていただろうかと自問自答してみた。
 単なる「友人」なら声をかけていただろうし、そうでない深い関係であったのなら、同じ屋根の下でいつ気づくかという「どきどき感」を楽しみながら過ごすことになるだろう。相手が気づいたらどうするか、そこからは「妄想」の世界である。

2011年5月18日水曜日

5.18、5.25

 この数字はある集団に属していたか現在も属していればピンと来る数字である。
 今日は31年前、反独裁民主化闘争に立ち上がり、犠牲者が約3,000人ともいわれた「韓国光州民衆抗争」の初日である。民衆の自由への渇望とその勇敢さは私の生き方を根底から覆した。
 初めて家族で韓国の地を踏んだときに心に決めていたことが犠牲者が眠る「望月洞墓地」と記念館に行く事であった。実際にいってみたら犠牲者の多くがやはり10代、20代という青年たちであった。
 行く前にバスのターミナルで生花を買い求めたのだが、私の発音に違和感を感じた女性店員が「どこらか来たのですか」と聞いてきたので、「日本からで、初めて韓国に来たのでまず、望月洞墓地に行きます」と答えたら、「立派だと」言って、両手いっぱいの花を採算度外視でどさっと包んでくれた。
 「民主主義は血と涙を吸いながら成長する」という言葉をあらためて胸に刻む日である。
 犠牲者に合掌。
 

本音と建前

 昨夜、某外資系銀行支店長との会食事に興味深い話を聞かせてもらった。
 日本人の建前社会は江戸時代に遡るということらしい。当時は武士が庶民の生殺与奪権をもっていて、無礼と判断すればその場で「切り捨てごめん」ということで、武士の前で庶民は顔色を伺い、ご機嫌伺いをするようになった。そのため決して喜怒哀楽の感情をださず、じっと我慢することに慣れてしまい、社会と意識の根底に「建前」がどんと居座ってしまったということである。このことは、現在の被災者の姿に重なるとも言っていた。もっと本音で「悲しい、苦しい、辛い、腹減った、許せない、金がほしい」などの単語を吐き出すほうが精神的に楽になるのではないかとも。
 我慢強く秩序正しい日本(東北)人という被災者の姿も感動的だが、2ヶ月近く蓄積している疲労とストレスを解消するためにも、「メルトダウン」という最悪の事態を隠蔽している政府と「東電」にはもっと激しい本音をぶつけて少しでも心身を軽くしてもらえればと願う。
 
 

2011年5月17日火曜日

「立たぬなら府民への挑戦」

 君が代斉唱時に起立しない教員に対する大阪府橋下知事の昨日のコメントである。そして、起立を義務化する条例を全国初で成立させるようである。
 私は数年前に次女の入学式で体験したことをミクシィで下記の通り書いた。

 『さて、入学式では正面に大きな日の丸と校旗が掲げられている。おもわず、長女の朝鮮高校入学式で正面に大きく飾られていた父子の肖像画が頭の中に浮かび上がってくる。
そして起立を求められ「君が代」斉唱となった。憮然とした表情で着席したままの私と妻に起立状態の周囲から視線が浴びせかけられる。
 私は妻に、朝鮮語で「ここは私立のミッション系やろ?公立じゃあるまいしここまでする必要があるのか?何のために国際科を設置しているか理解に苦しむな。」妻「あんた、学校に抗議するの?」私「今日はやめとく。」となり、釈然としない気持ちで事務所に戻る。
 これからこのような場に遭遇することになる次女はどうしていくのか、まずじっくり話し合わなけばと思う。 』
 その後、私は学園長に正式に抗議した。学園長は「新しい校長が文科省の助成金の関係もあり、そのように判断したが希望に添えるように再検討する」と約束してくれて、卒業式には君が代斉唱と起立が消えた。
 教員にも府民にも外国人がいる。橋下知事の思考と存在こそ「府民への挑戦」ではないのか。
 

2011年5月16日月曜日

屋久島

 3月に講演に呼んでいただいた九州・山口のビジネスグラブのメンバーたちの鹿児島・屋久島研修に参加させていただいた。実態は旅行であるが、愉快で個性的なメンバーたちとの2泊3日は1年分の量を笑うことができるくらい楽しかった。
 初日は鹿児島市内を見学したが、ここでは「西郷隆盛」が絶大な人気を誇っており、巡回バスの車中放送では「天皇」と同じかそれ以上の尊敬語で崇められいた。
                   (「ドルフィンポート」からの桜島噴火)
 
 2日目は屋久島の樹齢7800年とも言われている「縄文杉」であるが、往復10時間をかけてみるだけの価値があるのかどうか正直悩ましい。
 それよりも「もののけ姫」の舞台となった白谷雲水峡が素晴らしかった。特に、頂上からの眺めは北アルプスを彷彿させるほどであった。これほど山と海のバリエーションが豊富な島が大阪から飛行機だと1時間20分である。料理では劣るものの済州島よりも景観というか自然に深みがあるだけでなく、温泉も多い。
 そしていたるところに「山ガール」達ばっかりで、その多さにびっくりというよりは喜びを隠せない。
 再訪したいナンバーワンの土地である。 
 
 

(「太鼓岩」で出会った東京からの山ガール達)

2011年5月11日水曜日

デンマークサッカー協会少年指導10か条

 1 子ども達はあなたのモノではない
 2 子ども達はサッカーに夢中だ
 3 子ども達はあなたとともにサッカー人生を歩んでいる
 4 子ども達から求められることはあってもあなたから求めてはいけない
 5  あなたの欲望を子ども達を介して満たしてはならない
 6 アドバイスはしても,あなたの考えを押し付けてはいけない
 7 子どもの体を守ること,しかし子ども達の魂まで踏み込んではいけない
 8 コーチは子ども心になること、しかし子ども達に大人のサッカーをさせてはいけない
 9 コーチが子ども達のサッカー人生をサポートすることは大切だ。しかし,自分で考え
   させることが必要だ
 10 コーチは子どもを教え,導くことはできる。しかし,勝つことが大切か否かを決める
     のは子ども達自身だ

 サッカーだけでなく子育てにも通じる普遍的な「10か条」である。
 妻に見せてクールダウンさせたが、実際ピッチの近くにいくと効果があるかどうか少々疑問である。
  

2011年5月10日火曜日

オバマ・ビンラディン

 (藤原新也WMより転載)
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オバマ大統領へのノーベル平和賞を剥奪するべきである。そして、核の持ち込みを容認していた佐藤栄作元首相もそうである。
 まだまだ情報が錯綜しているが、はっきりしているのはパキスタンという外国でアメリカの特殊部隊が家族の前で「テロリスト」とその子供ならびに関係者を射殺して、「テロリスト」の遺体は水葬処分したことである。
 イスラム世界からしたらアメリカこそが「テロリスト集団」になるだろう。
 これで「憎悪の連鎖」が始まり、また無辜な民が犠牲となっていく。

2011年5月9日月曜日

体験談

 先週の土曜日、GWに被災地で4日間ボランティア活動をしてきた先輩の貴重な話を聞くことができた。
 まず、車に救援物資をどっさり積み、豊橋の親戚宅によってそこから宮城県の大槻まで17時間かかってしまったので、途中で救援物資を自分用に拝借してしまったらしい。
 現地に入るとその荒涼とした風景よりも、まず五感を刺激したのは決してテレビやネットでは感じることができない「におい」だったということである。
 こういう話をカムジャタンをつつきながら聞くことに痛みを感じながら、やはり最低でも1回は現地に行くべきだと思った。
 「日本という国が根本的に問われている、そして子どもたちのことを考えると胸が張り裂けそうである」という先輩の言葉がずしんと心の底で響いている。
 

2011年5月7日土曜日

再挑戦

 大阪市民マラソンに落選したので、その1週間後の淀川市民マラソンにエントリーした。入力ホームにゼッケンのニックネーム記載欄があったので「ペゴリ」と記入したら、「公序良俗違反の記載はできません」と書かれていて、再入力となった。「うわぁ、まさか」と思いきや、ひらがな入力をしなければならないことが判明して胸をなでおろした。
 さて、11月6日(日)は前回の教訓を生かし、とにかく完走を目指す。また、前回の長居競技場をぐるぐる15週回るのではなくて、変化する淀川の河川敷の景色が励ましてくれるだろうから、大丈夫だろう。スタート地点も私が中・高時代に住み慣れた太子橋付近の河川敷である。
 連休も終わり、生徒たちはこれから「5月病」との戦いが始まるだろう。すでに、昨日から病気・怪我人の続出で教員は病院に行ったり来たりとテンヤワンヤであった。
 本格的にさまざまな問題が表面化することになるだろうが、この苦悩と葛藤が生徒たちを成長させるだけでなく、私たち大人も試されることになる。
 学校から見える北摂の山々のすがすがしい新緑が生徒たち姿に見えてくる。

2011年5月6日金曜日

再び「祖国と母国とフットボール -ザイニチ・サッカー・アイデンティティ-」

 1月のブログに書いた表題の著者である慎武宏氏と昨夜鶴橋でお会いすることができた。
 彼の著書を韓国語に訳したのが私の知人で彼女からの連絡で貴重なひと時を共にできた。
 身長は180㎝以上のがっちりしたスポーツマンの体格で、寡黙で非常に魅力的な40歳だった。
 「在日Jリーガー」の代表的な選手たちへの取材を通じて、彼らの情熱と苦悩を見事に描き出し、韓国では表題のスペシャル番組まで放映された。
 彼の韓国語版は韓国サッカー界の重鎮だけでなく、俳優のイ・ビョンホンも読んでもらっており、一冊の本がこれほどまでに「在日」への関心と理解を深めたのは稀有であろう。
 現在は韓国サッカー協会の公式サイト(日本語版)を任されて、「在日」の韓国代表選手への取材で来阪したらしい。
  次回は長男への取材をしてくれるということで、気恥ずかしい限りであるが、彼との対話ができるだけでも待ち遠しい。
 

2011年5月4日水曜日

親鸞展

 京都に行く用事が出来たので、昨日行ってきた。生誕750周年を記念した展覧会だけに「本邦初公開」という展示物が多かった。
 昨年、五木寛之著の「親鸞」を読んでからこの聖人に興味をもった。もともと仏教には親しみを感じていたのだが、この聖人の生きざまが宗教という枠組みを超えて人間の根源的な矛盾や苦悩をすべて凝縮しているようでもあり、真理を究めるということは命を賭すことであるということを教えてくれる。
 午後からは友人とのテニスに興じ、夜は家族同士でルポライターの藤井誠二さんの「三つ星人生ホルモン」(双葉社)に紹介されている「縄手ワイン食堂」というレストランでフレンチをベースにしたホルモン料理を食した。ホルモンをこういう風に食べることができるんやと感心した。GW中ということもあり、部位が少なかったが次回是非行きたいところである。
 その後は場所を移し、鴨川の川床で韓国料理を食べたのだが、なんとそこは学校の保護者が経営者で、生徒がお店を手伝っていて驚いた。京都を満喫した1日であった。