2011年10月31日月曜日

大阪マラソン2

 朝7時頃に先輩のホテルに行き、会場の大阪城公園まで向かったがすでに、ごった返しており、トイレの前は長蛇の列ができていた。スタート地点では橋下大阪府知事と平松大阪市長が壇上から応援をしているが、二人には会話が全くなく視線も合わせない。

 
 

 先輩のスタート順がアルファベットの「O」なので、スタート地点で待ち構えてシャッターチャンスを狙っていたが、怒濤のように押し寄せる人並みに圧倒されてまったく探すことができない。

 

 先輩の目標タイムが6時間だというので、いった自宅に戻り、待機してから3時過ぎにゴール地点の咲州に向かうが、まったく姿が見えない。

 どうしたのかなと不安に思っていたら、携帯電話が鳴り「いま着替えて待ち合わせスペースに向かっている」というので、あまりにも早すぎるので一瞬「棄権でもしたのかな」と危惧したが、「エッ、タイムはどうだったんですか?」と聞いたら「5時間10分ぐらいだった」と返答があった。
 全身に鳥肌がたった。4月に腸の手術、6月にアキレス腱の炎症、8月に父親の逝去、10月に練習中のけがで目の上を数針縫うなどの逆境を乗り越えて、みごと来年還暦を迎える人の初マラソン挑戦である。
 「完走祝い」での表情が本当に美しかった。
 来週の「本番」に向けて、すごいパワーと勇気をもらった。
 

 

2011年10月28日金曜日

大阪マラソン

 明後日の大阪マラソンは雨模様だ。
 一緒に応募した、東京の先輩は「当選」して、私は見事落選したのだが、応援には行かなければならないので、スタートとゴール地点に駆けつけることにした。
 先輩は初マラソンで6時間での完走を目指しており、先を越されるてしまうのかなという不安と、達成してほしいという期待感がない交ぜになっている。
 その1週間後に私の本番があるのだが、目標としていた3k減量どころか、逆に増えており、トレーニングメニューも消化しきれていない。
 周囲に「完走」を大言壮語してきただけに、禁煙と同じで黙っていて「完走」したときだけ、堂々と自慢するべきだったのかなと気持ちが後ろ向きになっている。
 この数日中にとにかくハーフマラソン程度の距離を走ろうではなくて、走らなければならないという強迫観念に押しつぶされそうである。

2011年10月27日木曜日

新ソウル市長朴元淳弁護士

予想通りの勝利となった。人権派弁護士で苦労人である。学園設立当時のパンフレットにメッセージを送っていただいた。
朴独裁政権時代に投獄され、ソウル大学を除名されており、他の大学に再入学して司法試験に合格された。はじめは検察官からスタートしたが「人を逮捕・起訴する」仕事に半年で嫌気がさして、「人を生かす」側の弁護士に転職した。その後は、国家権力による人権侵害事件の先頭にいつも立たれていた。
このような人が、無所属で立候補して与党側の「肝煎り候補」をみごと打ち破るところに、韓国民主主義の健全さを感じる。
ひるがえって、大阪も府知事選と市長選がスタートするが、大阪府民と市民にも「ハシズム」を否定して「民主主義」の健全さを証明して欲しいと切に思う。

2011年10月26日水曜日

組暴(조폭)

 昨日韓国からもどったが、一番の話題はソウル市長選で今日が投票日である。多分、野党系の候補者が勝ちそうな勢いである。この約4年間の李明博政権の最終評価が今日の結果にも表れるであろう。
その次の話題が「組織暴力団(組暴)」による乱闘劇を警察が怖れて取り締まれず、上部に過少報告をしていたことである。
その映像を見たが、日本の暴力団のイメージとは違って「愚連隊」といった方がふさわしい。
みかじめ料を出さない飲食店になだれ込んで、こん棒で店内をぐちゃぐちゃにするとか、刺青を見せて露骨に脅すとか、手口がある意味単純明快である。
多分、韓国の場合は日本と違って直接暴力団を取り締まる法律が存在しないのかもしれない。
大学の4年生の時に、鶴橋で当時山口組№2の某組の戦闘服を着た下っ端とやりあった時代が懐かしい(もちろん、最後はダッシュで逃げ切った)。今は素人には逆に怖くて手を出せいないだろう。
しかし、私の横で下っ端を投げ飛ばしていた同級生は「素人」ではなかったが・・・。

2011年10月25日火曜日

痛風?

 九州出張の時にその痛みが出た。右足の中指と薬指がしびれたような痛みで歩くのがつらくなった。
それから1週間おきに同じところに同じ症状が出るので、痛風だと思われるが、まだ病院には行っていない。
毎回の検査では尿酸値が高かったので、ひょっとしたらと思っていたのだが、妻には「外食ばっかりの生活だから当然の報い」と冷たくあしらわれた。
同じ病気の「先輩」方に確認すると「最初は親指から痛み出す」とのことだが、さて明日にでも病院に行って、診断を受けることにする。11月6日(日)に「マラソン完走」を目指しているだけに、不安でならない。

2011年10月24日月曜日

人事の季節

  昨日から韓国に来ている。トイレに入ったり、電車にのったりすると、公衆道徳を訴えるポスターなどの表現が明確に「やめなさい」「しなさい」というようにストレートであることに気がついた。
日本だと「ひかえてください」「遠慮してください」などの遠回しの表現が多いように見受けられる。
明確に「車内での痴漢行為は犯罪となります」ではなくて「痴漢行為は人間とて恥ずかしいことなのでやめなさい、見つけたらただでは置きません。」とかいうように命令口調の表現に切り替えたら、すこしは加害者の心理と行動にプレッシャーを与えるのではないのかなとふと感じてしまった。
さて、人事の季節に突入である。何度も嘆いているが、教員の評価は数字で判断できないので本当に難しい。上には反抗的で批判的であっても生徒には素晴らしい対応をする人もいれば、その逆もまたある。そのようなでこぼこ状態の方が子どもにとっては息苦しくないだろう。
橋下が「教育基本条例」(?)を成立させようとしているようだが、彼のエリート的な独善性がよく現れている。上にとって都合のいい教師だけで学校現場を固めてしまえば、子どもたちは完全に酸欠状態になることは素人の私でも理解できる。
そして清志郎の「僕の好きな先生」のような名曲も生まれてこない。

2011年10月22日土曜日

グリーカーテン

約半年、ゴーヤにはお世話になった。毎朝、水をやりながら葉っぱの一つ一つを見ていると不思議とその生命力の強さがじんわり自分にも伝わってくるようで、植物のすばらしさを感じさせてくれた。
当初は妻に頼まれて仕方なくしていたのだが、そうするとその気持ちがゴーヤにも伝わるようで、実のできが悪かった。途中から愛情をもって、葉っぱをながめたり、ミツバチが密を吸いに来るのをじっと見ていると、実のできがよくなったような気がしてならない。
晩秋となりその役割もそろそろ終わりを告げようとしているようで、葉が黄色くなってきた。

自分の人生もある意味で晩秋なのかなという気がした。若葉のみずみずしさはとっくに消え去っているが、紅葉の美しさだけでも保ちたいなと思う。あるいは季節外れの「狂い咲き」もあるのかなと、ふと期待してしまった。
 自宅と私の心のグリーカーテンとなったゴーヤに心から感謝。

2011年10月21日金曜日

「現役」歌手

  昨夜は校長と「支援者候補」とお会いして、楽しいひとときを過ごした。超繁盛店の「焼き肉屋」を切り盛りしながら、ソプラノ歌手としてソロリサイタルも開催し、社会貢献にも積極的にかかわるという60歳前後?の女性である。
そのような彼女に注目して、ラジオでドキュメンタリーを制作した人が、「チチンプィプィ」に学校のことを2回も放映してくれたディレクターであったことが判明して驚いた。
彼女は2年前に大病を患って生死を彷徨ったのだが、今は「生かされている」と実感しながら、むしろ病後の方がパワーアップして、ソプラノの声もすごく丸みを帯びてきているのだから不思議でならない。
「在日2世」としての使命感が日々強くなっているといいながら、次世代に「在日1世」の魂を伝えたいと抱負を語っていた。
来年は帝国ホテルで歌うらしいので、是非駆けつけてみようと思う。

2011年10月20日木曜日

「死ぬのを待っている」

 「慰安婦」問題を結局、李明博大統領は首脳会談で言及しなかった。「経済重視」というが、韓国の日本大使館前では毎週水曜日に元「慰安婦」達と支援者が集会を行っている。
今年12月にはその集会が1000回を迎えるのだが、どんどん被害者達は高齢でこの世を去っている。
90年代の初め、南北朝鮮とフィリピン、オランダの被害女性を日本に招待した「国際法廷」とシンポジュウムがあり、かかわったことがある。被害女性達は異口同音に「日本政府は私たちが死ぬのを待っているのか」という悲痛な叫びをあげていた。
北朝鮮から来られた被害女性をホテルまで連れて行き、部屋にご案内して使用方法などを説明をしようとしたのだが、ベッドの上に置かれていた和風の寝間着を見た瞬間、凍り付いていた。
半世紀前の記憶が蘇ったのか、数分立ち止まっていた。
翌日の朝食に出された牛乳にも決して口をつけなかった。不思議に思っていたら私ではなくてもう一人の付添の女性に「精液を思い出す」と漏らしていたようだ。
半世紀経っても決して癒えることのない心の傷に南北も日本もしっかりと向き合おうとせず、政治・外交カードとしてそのタイミングと効率性をうかがっている。

2011年10月18日火曜日

投身

 日曜日の夕方に自宅マンションで投身自殺があった。50代の女性だったらしい。サッカー帰りの長男が担架に乗せられているところを見たらしいのだが、私は寄宿舎での宿直があり全く知らなかった。
 新聞に報道されているのかなと思ったら全くでていない。年間3万人以上が自殺し、自殺未遂まで含めると毎日100人以上ということでは「事件」にはならないのだろう。
 しかし、住人としては一人の「死」を重く受け止めたいので、女性が投身した場所を上から眺めながら、その瞬間の女性の気持ちに思いを馳せてみた。
 高いところから身を投げる人は、あらゆる束縛と拘束から解き放たれる一瞬の快楽を求めたのかなとふと感じた。
 出張先で立ち寄った大分県のコスモス園の花を女性に捧げたい。(合掌)

 

2011年10月17日月曜日

九州出張

 土曜日の夜に九州から戻ったが、四泊五日の出張はやはり疲れる。山口から小倉、博多から大分へといろんな人と出会った。民団系の人から元総連という人(さすがに現役はいなかった)、そして全くの未組織という人まで。
その共通点は①ルーツ、②地域、③次世代を大切にしていこうとする熱い気持ちである。
この3点で集っているメンバーが「サンキュークラブ」という団体であるが、山口の「山(さん)」と九州の「九(きゅう)」を掛けあわせた名称である。
この団体が10周年を迎えたことと、現会長が旧知ということもあり、参加した。
 女優の黒田福美さんの講演もあり、またシンガーソングライターの新井英一のライブもありと盛りだくさんだった。とくに、新井さんの「リムジン河」と「清河への道」には全身がしびれた
 

 さて、どうにか第2号棟寄宿舎の建設も確定しそうですこしだけ一息つけそうだ。
 

2011年10月13日木曜日

歴史捏造

 中国内にある高句麗の遺跡が捏造され、その歴史がどんどん消されている。
知人が憤慨していたので、わたしもその歴史ドキュメンタリーを借りて見たのだが、その「手口」があまりにも乱暴でひどすぎる。
高句麗時代の城壁の上にコンクリートで固めた中国形式のお寺を建立するだけでなく、その名称まで変更するので、地域の住民達も困惑している姿も生々しく映し出されていた。
韓国側の取材が学説と史実に依拠して、非常に冷静であったのが印象的であった。
いわゆる中国政府は「東北工程」という歴史観を打ち出し、「高句麗は中国の一地方政権だった」という考えを行動に移しているのだろうが、歴史の捏造は必ずその「審判」を受けることになる。
日本も北朝鮮も同じである。

2011年10月11日火曜日

いつもの定番コース

 土曜日に理事会が無事終了して、日曜日はアメリカ人の英語先生カップルと生駒に登った。
 この先生とは先々週、高2のクラス旅行で一緒に四国を回ったのだが、アウトドア派で誘うとすぐに応じてきた。
 枚岡神社~「僕らの広場」~「鳴川峠」~「千光寺」~「音花温泉」~「京愛館(カムジャタン)」という定番のコースである。
 妻も天気(機嫌)がいいのか仕事をキャンセルしてまで、合流してきた。
 
 このコースは3時間30から4時間程度で変化のある景色を満喫できるのが最大の魅力である。アメリカ人の英語先生はいつも六甲山に登っているのだが、今回のコースをすごく気に入ってくれた。
 最後の温泉も露天風呂がすごく大きくて、泉質もすべすべしているので女性たちにはとりわけ好評である。
 最後は来年3月にハワイで式を挙げる二人をお祝いして「京愛館」でカムジャタンを堪能した。
 これには、釜山にはまってすでに8回も行ってきたという日本人フィアンセも感動していた。
 豚足の辛炒めに、チェプチェ、海鮮チジミ、生ビールに、マッコルリまでいただいて、4人で1万円ちょっとである。
 さて、今日から土曜日まで九州出張である。「あたって砕けろ」という気持ちで、山口、福岡、佐賀、大分を時間短縮のためレンタカーで回ることになった。
  
 
 
 
 

2011年10月7日金曜日

ジョブズ去る

 死を覚悟したり、その到来を確信した時に他者に何を告げるのか、その最高のメッセージを昨夜故人となったジョブズから頂いた。
 スタンフォード大学の卒業式でのスピーチは素晴らしかった。聞いた瞬間にじわっと電気が走るのを感じた。
 「ハングリーであれ、愚直であれ」というシンプルな言葉に、エキスが凝縮していて、それにお湯をかけたら無限大に広がっていくようである。
 56歳の人生だったが、世界の人々に残りの人生を託して旅立ったのだろう。(合掌)
 

2011年10月6日木曜日

エクスタシーとアイデンティティ

 「自己に固執するアイデンティティと自己をなくすエクスタシー。これを繰り返すことで人は生きている気がします」ということを人間そっくりのロボット(アンドロイド)研究の世界的的工学者である石黒浩氏が元阪大総長との対談で述べていたのが印象的である。
 自分は何者であるか突き詰めて考えぬくアイデンティティと、自分を自分でなくすエクスタシーの相関関係をこの二人が「生きるって何やろか?」(毎日新聞社)と語っているのだが、「目から鱗」的な内容が満載である。
 日本国籍だが両親は日本と韓国、両親とも韓国だが国籍は日本、朝鮮半島とはまったく縁のない日本国籍等、生徒たちのアイデンティティを複合的にどうとらえ、そして向き合っていくのかという問題に日々ぶつかる教育現場だけに、この本は参考になった。
 この二つのキィワードを読み解いていくと結局「人間とは何やろか?」というところにたどり着く。
 簡単に言うとそのヒントらしきものが冒頭の石黒氏の表現になるのだが、ロボットを通じた人間洞察の鋭さに舌を巻いた。

  

2011年10月5日水曜日

「韃靼の馬」

 単行本として630ページ近くある歴史小説で、日経新聞に2年近く連載されていたらしい。先週ようやく完読したが、日本と朝鮮半島、そして中国大陸を舞台にした壮大なスケールでぐいぐい引きずりこんでくれた。
 江戸時代の「朝鮮通信使」は史実を丹念に描きながら、当時の朝・日の人的交流、外交的駆け引きなどの裏舞台にどのような人間模様があったのか、そして侵略によって傷ついた民心、朝鮮人が日本人となり、また日本人が朝鮮人となりながらも志をもって生きていく誇り高い人々の姿が感動的である。
 アイデンティティは自己を縛り、そしてエクスタシーは自己を開放するという鷲田元阪大総長の言葉がふと浮かび上がった。

2011年10月4日火曜日

2学期スタート

 毎朝5時頃朝刊を取りに行くのだが、ばったり学校法人セミナーの講師の先生と鉢合わせとなった。
 同じマンションに住まわれていることは聞いてはいたので、いつか遭遇するなとは思っていたが、まさか寝間着姿状態で早朝から挨拶を交わすことになるとは少々気まずかった。
 3回にわたり質の高いセミナーを無料で受講できただけでもありがたいのに、わざわざ学校まで来られ、見学をされて行かれた。
 中央官庁でのキャリァの道を投げ打って、経営コンサルの仕事を始められたと聞いているが、とくに学校に対する思いはすごく熱い方である。
 2学期が始まる初日にこのような方と朝からお会いできるとは、非常にラッキィで昨今の天気のようですがすがしい気分になった。
 生徒たちは5日間ほどの秋休みを満喫したのか、元気よく登校してきている。
 10月からは推薦入試の願書受付となり、これから生徒募集が山場を迎える。これだけは、蓋を開けるまで気が抜くことができないが、どうにか昨年度の水準を上回りたい。

2011年10月3日月曜日

高2親睦旅行

 先週金曜日から昨夜まで高2の親睦旅行に同行した。というよりは、アメリカ人の担任先生だけでは、大変だろうと思いドライバー兼雑用係でボランテイァをかってでたようなもんである。
 徳島では渦潮見学とラフティングを、香川ではうどん作りをという四国満喫の旅である。
 しかし、生徒は5名で予算は限られているので、朝晩は自炊で、2日目は担任がメキシコ近くのアリゾナ出身と言うこともあり、「タコス」などの料理を作ってくれた。
(生地もすべて手作りで、肉は豚肉)
(吉野川下流)
                     ( 金比羅から眺めた讃岐富士)
 (758段の階段を上がった金比羅)

別れ際、生徒たちが整列して1学期の感謝を述べながら、担任に寄せ書きを渡していた。
 これには思わず、いつもクールな担任もウルルときていた。こういう情景を見ると教員はいいなぁと心底思ってしまう。
 秋休みの5日間の休暇をほとんどを犠牲にして、フィアンセとのデートも後回しにした担任先生の努力が生徒たちにもしっかり伝わったようである。