「子どもを失った遺族に『節目』などない。変わらぬ喪失感を抱きしめながら、それぞれが一日一日を懸命に生きている」という朝日新聞の文章を何度も読み返した。
付属池田小で8人の児童が刺殺されて10年となる。
子どもを亡くした人を数名知っているだけに、上記文章は胸の中でこだまする。
被害者の遺族が、「悲しみは人の数だけある。一つひとつの悲しみに寄り添える人間になりたい」とある大学のグリーフケア(悲嘆回復)研究所の受講生となったと記事は伝えていた。
亡(失)くしたものがあまりにも大きすぎる被災者の「喪失感」もグリーフケアが可能なのか、私には正直わからない。
喜怒哀楽の「喜」と「楽」は共有しやすいが、「怒」と「哀」は簡単ではない。
「寄り添う」という遺族の言葉だけは大切にしなければと思うのみである。
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