2011年6月14日火曜日

故金敬得弁護士

 昨日から東京出張である。
 学園の設立発起人の一人である故金敬得弁護士の自宅を訪問して線香をあげた。
 韓国籍の在日コリアンとして司法試験に合格し、最高裁の重い扉を開いて、弁護士の国籍条項を撤廃させた。
 私が大学に入学した、たしか1977年だったと思う。 記者会見で「在日60万の人権のために闘いたい」と眼光鋭く訴えていた。
 2005年にお会いしていなければ、多分「学園」は誕生していなかったであろう。
 ちょうど東京都の韓国籍公務員の管理職問題で最高裁での判決が出るその日に事務所で昼食をともにしながら、あたらしい人財育成拠点としての学校を設立しようということで合意した。
 「ところで、先生、3時からの最高裁は勝訴しますか?」と尋ねたら「ほぼ勝てる」と答えられたのだが、見事に敗訴となってしまい、その後「残念でしたね」とねぎらうと「日本の国際化はこれで数十年遅れてしまう」と嘆いておられた。
 そしてその年の2005年の12月に56歳で逝去されたが、長女と長男は弁護士として父の遺志を継いでいる。

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