2011年9月30日金曜日

「도가니」(坩堝) 続

 先日記述した韓国映画「도가니」がついに政治家を動かし、性暴行と虐待に対する法律を厳罰化することになった。
 また、当時13歳以下の被害者であった女子生徒が民事訴訟で3000万ウォンの損害賠償を勝ち取ったとのニュースが大きく報じられていた。
 一つの小説と映画がきっかけとなってこのようにハイスピードで政治と法律を変化させるところが韓国らしい。
 そしてこの小説の作者が私の最も好きな孔枝泳であることも嬉しい。
 映画を観終わった直後の鬱積した気分が少しは軽くなった。
 
 

2011年9月29日木曜日

六本木での対話

 支援者に連れて行ってもらった某クラブで横に座った女性との対話記録。(Hは私、Wは女性)

 H:「はじめまして、Hと申します。}
  W:「中国か韓国の方ですか?」
 H:「祖先をたどれば両方です、中国でも発音はHで韓国でもHなので、ルーツは中国かな・・・」
  W:「それじゃ在日の3世ぐらいですか?」
 H:「その通りだけど・・・、ひょっとしたらあなたも在日?」
  W:「私は日本人ですが、実は結婚まで考えた男性が在日でした」
 H:「ということは、別れたということ?」
  W:「別れるときに『イムジンガン』という歌を歌ってくれたのですが、知っていますか?」
   ※しばし沈黙
 H:「その男、魅力的だったでしょう?」
  W:「今でも心に居座っているみたいです」
 H:「あなたは今何歳?」
  W:「28歳の博多出身で、今年4月に2年近くいたアメリカから帰ってきました」

 それ以降の会話は個人情報に抵触するので省略することにして、こういう出会いもあるもんだなと感慨深い六本木の夜だった。
 
 

「越境人」の原型

 中国朝鮮族の友人と2年ぶりにあった。慶応大学に留学して卒業後に起業して15年で携帯DVDを中心としたIT会社を経営している。
この2年間で15キロほどダイエットしたようで顔を近くに寄せてようやく彼とわかった。
日本には5万人近い「中国朝鮮族」が住んでいるといわれており、そのネットワークはどんどん拡大しているようである。
とくに、出稼ぎの単身短期滞在から家族同伴の定住型へと変化している。
中国の急速な経済発展は「朝鮮族」の生活と価値観にも多大な影響を与えていて、200万人近く住む延辺では北京、上海そして韓国へと移住して激しい人口減少を招いている。
中国国内では「少数民族」、日本には「移民」として、中国語、朝鮮語、日本語の3カ国語を駆使しながら主流社会への参入を目指すそのパワーはすさまじい。
この友人も子どもを幼稚園までは中国に送り、小学校は日本学校に、大学はアメリカという選択肢を考えている。「中・高はKISに」と投げかけたが反応はもう一つであった。
しかし支援の意志を明確にしてくれた。 彼(女)らに「越境人」の原型を見た。

2011年9月26日月曜日

「도가니」(坩堝)

  釜山の知人に勧められて表題の韓国映画を観た。入場料は10000ウォンなので、600円ぐらいで大画面のゆったりした椅子で楽しめる。
 2005年に韓国の障碍者(小・中)学校で起きた実話を映画化したのだが、ストーリーは学校と寄宿舎内で校長・事務局長・教師による暴行(レイプ)・暴力事件である。
 裁判では執行猶予となり、加害者全員が学校復帰を果たすのだが、司法内部の癒着、法律の不備、障碍者への差別、貧困問題等その社会的背景が詳細に描かれている。
 あまりにも重たい内容の直球型社会派映画で、なかなか憤りが収まらなかった。
 深呼吸を思いっきりしたくなり、帰路に韓国一の海水浴場である海雲台ビーチの横にある廣安里ビーチまで足を伸ばした。
  映画の最後に出てきた「世間(社会)を変えようとするのではなくて、世間が自分たちを変えられないようにしなければならない」とセリフが印象的であった。

2011年9月24日土曜日

怒濤の一週間

昨夜学校理事のご令嬢の結婚式がリッツカールトン大阪であった。

最近は結婚式に参加すると、一人一人の子どもたちを思い浮かべながら、長女ならどのような演
出をするのか、次女なら涙で目を腫らして化粧がぼろぼろになってしまうのではないのかなと自分の問題として想像力を膨らましてしまう。
問題は結婚の前にk彼氏ができるかどうかで、現在のところまったく音沙汰無しである。
彼氏がいてもいなくても心配してしまうのが親心なのかもしれないが、最近は「出戻り」も含めて結婚もせずずっとシングルでいることも想定内としている。
さて、今日からまた韓国出張となる。来週月曜日にもどり、火曜日からは東京、四国となり、大阪に戻れるのは来週の日曜日という怒濤の一週間の始まりである。

2011年9月22日木曜日

北アルプス走破

 結局昨日は休校となった。それにしても午前中の風雨はすさまじかった。これで一気に秋へと突入しそうである。 一昨日の夜、大学時代の先輩から呼び出され、初の北アルプス走破の話をたっぷり聞かされた。
年齢は64歳だが、その持久力は30代と言っても大げさではないだろう。
初日は上高地から北穂高までの約10時間、2日目は北穂高から奥穂高、前穂そして一気に上高地までのコースを約12時間で走破された。
もちろん、晴天を見計らって行かれたのだが、それにしてもこのコースを一泊二日で走破するのは大学の山岳部並みである。
10数年前に私が同じコースをたどったが、二泊三日であった。
今年は実現できなかったが、来年は久々に3000m級の山々をじっくりと走破したくなってしまった。
あの景色に魅了されるとやはり「麻薬常習犯」状態になる。

2011年9月21日水曜日

台風時の判断

 今朝から大阪府は暴風・大雨で学校は本来休校なのだが、後期試験中ということで11時まで自宅待機して警報が解除されれば午後から登校で試験となる。 私はいつものように車で出勤して7時過ぎには学校に着いたのだが、こういうとき教職員はどのようになるのかと思い、就業規則を確認しても該当する箇所がない。
生徒と同じ扱いなのか、交通機関が動いているのであれば通常出勤をするべきなのか悩ましい。
ネットで調べてもみたが、暴風・大雨警報で休みにする会社はほとんどない。だから遅刻した場合は賃金カットもできるような書き込みも見受けられるが、それはあまり酷いような気がする。
台風・地震の多い日本だけに、就業規則にも具体的な記述をするべきだとの思いを強くしている。
それにしてもまだ誰も来ない。午後から尼崎で面談があるのだが、変更するべきかどうか悩ましい。
この台風の中を訪ねてきたその姿勢に打たれて、寄付金額がアップするのか、非常識かつ無謀な奴だと思われて寄付を拒否されるのか昼までに判断しよう。

2011年9月20日火曜日

「天敵」

 やはり韓国焼酎にやられたようだ。昨日は頭の芯が痛くて起き上がれなかった。
冷静に考えればウィスキーもビールも飲んでいるので、根本原因はアルコールなのだが、チャンポンすると韓国焼酎が化学反応を起こし、毒素を体内にばらまいているような気がしてならない。
読書する気力もないので、DVD映画を3本見た。
一つは「プリティウーマン」、二つ目は「ブラックスワン」、3本目は「塹壕の中で(전호속에)」である。
一本目が非常に良かった。ある人につよく薦められてこともあり、見ることになったのだが、女性の自立と尊厳を小気味よく感動的に描いていた。
金曜日は7年ぶりに後輩と再会した。大阪で「韓流ビジネス」をテーマにした講演会の講師として招かれていて驚いた。この世界に飛び込んで約10年近くなるが、「だまされたものが負け」というすさまじい業界でどうにか生き残っている。
ようやく今大人気のチャン・グンソク主演の映画まで完成させ、来年からの上映にこぎつけた。久々の再会で南の街を夜中の3時まで徘徊してしまったが、「地獄の1丁目」から見事復活した彼の苦労話の刺激が強すぎたせいか、アルコールが溶解してしまったようである。
金・日の深酒と午前様で「雌鶏」が鳴かないのが、不気味で恐ろしい。

2011年9月16日金曜日

「女性たちの怒り」

 リビアのカダフィ政権崩壊のきっかけとなったドキュメンタリーを観た。2月18日の民衆蜂起に繋がる伏線には何があったのかがよくわかった。
 それは、母親たちの存在である。秘密警察などに連行され、そして殺されたり行方不明となった夫や息子たちの妻や母親たちが真相究明を求めて、息の長い抗議活動をしていたことが導火線となって「リビアに自由を、カダフィ追放」というスローガンに民衆が飛びついたのである。
 もちろん、それ以外の様々な謀略的な要素も否定できないであろうが、「女性たちの怒り」が42年間の独裁政治に致命傷を与えたことに深い感銘をおぼえた。
 「雌鶏が鳴くと家が亡びる」という女性蔑視の韓国の諺があるが、「雌鶏が鳴かないと家が亡びる」に変更するべきである。
 私の家ではいつも鳴き続けているからどうにか亡びないですんでいるのかなと思いたいのだが、できれば朝だけにしてほしい。

2011年9月15日木曜日

「死の町」

昨日から韓国からの来客があり、付き人状態である。関空近くのホテルにチェックインして、泉州の地魚が美味しい居酒屋へと案内した。特産のワタリガニ、水なすなどに舌つづみを打ちながら、話をしていると真横からもハングルが聞こえてくる。こんな場末のB級グルメ店にまで押し寄せてくるとは驚きである。ところで、話題はやはり「放射能」である。「死の町」発言等で辞任させられた大臣には同情的である。実際「死の町」になっているのに、なぜ、マスコミは過剰反応をしているのか全く理解に苦しむようである。「放射能がうつるぞ」の発言はさておき、私も彼らの認識に全く同感である。
藤原新也がウェブマガジン上に「たとえ明日世界が滅びようと、わたしは今日林檎の木を植える」というルターの言葉を引用しながら、今回の騒動の荒唐無稽さを一刀両断にばっさりと切っていた。
今は、彼の「今、前向きに生きるコツは、頭より体を優先させることだ。こんな状況で頭ばかり働かせると、悲観の悪循環に落ち込む。抱えきれない悩みのある人がお遍路で四国を旅すると、何も解決していないのに歩くうちに悩みが軽くなることがある。心の軸が頭から体に移るからだ。体は生きようとする生理を持っている。それが『林檎の木を植える』ということだ」という言葉をしっかりと刻みたい。

2011年9月14日水曜日

「脱北者」

 今月8日に北朝鮮を出発して韓国に行こうとした9名の男女と子どもが金沢港で身柄を拘束されたとのニュースが飛び込んできた。
今から17,8年ほど前になるが、冬の季節に北朝鮮漁船が敦賀港沖に漂流して現地に急遽派遣されたことがある。男性ばかり8名前後で、1ヶ月近く漂流していたようで、発見される数週間はほとんど飲まず食わずの状態で、船体の一部を剥がして暖をとっていたという。すぐに福井市内の病院に移され、治療を受け、1週間ほどで体調が回復した。
その後、話をいろいろと聞くことになったが非常に口が重い。しかたなく、一人一人を個別で聞いていると当初乗船していた人数が10数名だったということである。残りの数名はどうなったのかということだが、そこに話が至るとピタッと口を閉ざしてしまった。そこからは想像に任せるしかないのだが、無事この8名前後の船員たちは飛行機で帰国した。難破寸前の漁船は公海上で北朝鮮側に渡されて一件落着となったのだが、そのとき初めて海上保安庁の巡視船にも乗せてもらった。
拉致問題もなく、朝・日関係がまだのどかな時期の話であるが、今回はまだ食糧が残っていたと聞いてほっとした。

2011年9月13日火曜日

中秋の名月

 月明かりがきれいな夜だった。ここ数年は天気がよくなく、はっきりと名月を見ることができなかったという記憶が残っているのだが、昨夜は申し分なかった。そして一緒に食事をしたメンバーも。
 1次会は北新地の豚肉串焼きの専門店、2次会は道頓堀の赤坂一龍という「ソルロンタン専門店」である。「赤坂一龍」の店長からは「『秋夕』」の夜を一緒に酒を酌み交わしたい」と直々に電話があったので、顔を出したのであるが、韓国人の情緒からするとこんな特別な日には親しい家族や友人とひとときを過ごしたいという気持ちが切になるようである。
 この店長は元「韓国空挺部隊」出身で、超一流企業の「ポスコ」を脱サラした経歴の持ち主でもある。
 東京赤坂で50年近くの伝統を持つ「赤坂一龍」という「ソルロンタン専門店」で修業して、この店を大阪の地で2年前にオープンした。
 先日ソウルで100年の伝統を持つ「里門ソルロンタン店」にも行って見たが、本場の味よりも「赤坂一龍」のスープが濃厚で美味しいと思う。まさしく「秘伝」の味である。

2011年9月12日月曜日

秋夕

 今日は中秋の名月である。本来ならば今朝に法事(祭祀)を行うのだが、平日だと人が集まらないので、急遽日曜日の夜に変更した。
 韓国では3,4日休日となるほどの一大イベントであり、中国でも同様であるのだが、日本だけが不思議と正月も含めて陽暦を採用しており、国民的行事とならない。アジアでもっとも近代化が早かったせいなのかとふと思う。
 妻が一人で祭祀用の料理をせっせと作っているので、さすがに何もしないというわけにもいかず、上記写真の「飾りつけ」を手伝った。
 その後、各家族が全員集合して、老若男女が故人に礼をおこなったのだが、このような形式で祖先に感謝して、故人を偲ぶということは子どもたちの倫理観形成に非常に有益だとの思いを改めて強くした。
 そして、震災から半年ということもあり、犠牲者の冥福もともに祈った。
  
 

2011年9月10日土曜日

経済制裁

  朝・日女子サッカーは1対1の引き分けとなった。沢が「勝てる試合だった」とのコメントを残したが、5人の主力選手がドーピングで出場停止となった北朝鮮チーム選手の層の厚さを実感した。
 昨夜、東京からの来客があり久々にじっくり話を聞いた。先週のワールドカップ予選の朝・日戦前に北朝鮮選手たちのためにサッカーシューズを全員にプレゼントしようとしたらしい。
 ところが、それ自体が「贅沢品」ということで、経済制裁の対象となっており、手渡すことができなかったと呆れ返っていた。
 昨年の南アフリカワールドカップ大会のとき、「朝鮮の選手たちはスパイクが一足しかなかったので、雨降りの後は困った」という趣旨の鄭大世のコメントを聞いたのが、きっかけだったらしい。
 やはり、「経済制裁」は権力層でなはく、庶民の生活を直撃している。日本政府はこんな効果のない措置を撤廃して、「虎穴」に入るすべを考えるべきである。
 
 

2011年9月6日火曜日

台風

 一昨日の日曜日、まだ台風の影響が強い中、午後から思い切って生駒を登ってきた。
 土曜日夕方からのマラソン会議で溜まったストレスとプレッシャーを発散したくなってしまった。
 近鉄枚岡駅を出発したのが午後1時ごろで、最終目的地の音花温泉には5時に着いた。風雨ともに強かったが、頂上に着いた時には雨もピタッとやみ、明石海峡まで見渡すことができた。
 10回以上も行き慣れたコースではあったが、正直土砂崩れが怖かった。
 音花温泉の大きな露天風呂につかりながら、空を見上げると白い雲と黒い雲そして灰色の雲などが忙しげに西へと流れていた。その隙間から垣間見えた青空の色が神々しかった。
 風呂上りに生ビールをひっかけて、ほろ酔い気分で帰宅したときには明日への活力がみなぎっていた。 
 しかし、今回の台風による被害が100名近くになりそうである。
 那智勝浦の町長は妻と結納直前の娘を亡くしてしまった。
 犠牲者と被災者の冥福を祈りつつ、彼(女)らの分まで一生懸命生きなければと気持ちを引き締めた。(合掌)

2011年9月5日月曜日

万景峰号

 今朝の朝日新聞にこの船が中国の観光客を乗せて、金剛山観光に使用されているとの記事が出ていた。確か、この船は在日の人たちの寄付で建造された記憶がある。そして、金剛山に最初に建てられた観光ホテルもそうだった。金剛山はその後韓国の「現代財閥」がインフラ整備をしたのだが、それも「没収」されたままである。
 この船には多分10数回以上乗船し、お世話になっただけに思い出深い。
 船酔いで全く起き上がれず、船室で寝ていたら、美人乗務員から「男のくせに情けない。さっさと起きてせっかく作った食事を食べろ」と怒鳴られたことや、元山の港を離れ日本に戻るときにせつない表情で涙していた親戚の姿などが今でも鮮明である。
 そして、せっせと数十個の段ボールに生活必需品を詰め込み、頻繁に往来していた1世ハルモニ(おばあさん)達が、この船まで「制裁」対象にされて、仕方なく荷物に制限がある飛行機で子どもたちに会いに行かざるを得なくなっている。
 日本政府の「北朝鮮制裁」は結局、本国ではなくて足もとの在日朝鮮人の生活と肉親の絆を直撃している。

 

2011年9月4日日曜日

朝・日戦、韓・日戦

 連日で隣国同士のサッカー試合があった。
 一昨日は善戦で、昨夜は惜敗だった。日本の男女サッカーは過去最高のレベルを維持している。
 一昨日は数ヶ月ぶりのノンアルコール状態だったので、冷静に試合を観戦することができたが、もともと弱いと言われていたメンタル面が強くなったとの印象を受ける。
 印象深かったのは攻撃の要が二人とも「外国人」であったことだ。もちろん偶然なのだが日本人監督であったらこの采配があったのかなとふと考え込んでしまった。
 後半に足をつらした北朝鮮選手に声をかけて、マッサージをしてあげていた李忠成の姿に感動した。そして鄭大世がまた「愛国歌」に涙していた。安英学は90分フルに走りまわっていた。
 そして新しく仙台の梁ヨンギが合流して、22人中4名が「在日選手」だった。