2011年8月31日水曜日

新首相

 海江田がなるとすっかり信じ切っていたのでびっくりした。
 韓国内ではやはり「歴史認識」に問題が相当ある人物だとして、警戒する報道が多い。
 「松下政経塾」出身ということも紹介しながら、その枕詞が「極右指導者養成機関」と付け加えられていて、一瞬唸ってしまった。
 管首相にはもう少し粘ってほしかったのだが、見事に引きずり降ろされ、「小沢待望論」も当面影を潜めることになる。
 管さんは最後に「置き土産」として「朝鮮高校の無償化」の審査開始を指示したようである。
 最初からストップしたのがおかしいのであって、今更という気がしてならない。
 新首相には期待するものは何もないというか、日本の政治がまた停滞して、また首のすげ替えが繰り返されるだろう。
 韓国の知人たちからは「日本の首相は任期が1年と憲法で定められているのか」と皮肉たっぷりに酒のつまみにされてしまった。私が選んだわけでもなく、選ぶこともできないのだが、大統領選挙を直接選挙にした民主化の実績があるだけに、彼らの「国民の政治責任」という認識と自覚は日本とは比べ物にならない。

2011年8月30日火曜日

釜山・ソウル

 土曜日から釜山、そして昨日からソウルに来ている。昨年設置したKISの韓国事務所側と協議することになった。
(釜山駅から見た風景) 
(チャガルチ市場の夜)

 放射能・円高という史上最悪の状況で韓国内の日本留学斡旋業者が店じまいをはじめているという。確かに、留学センターが密集している鐘路の街を歩いてみたが、昨年より「日本留学」の看板が減り、その代わり中国とカナダが増えているようである。
 所長は悲観的だが、新しく就任した副所長はこの道数十年のベテランだけあって、冷静に事態を分析しながら打開策を練っていた。
 夜はいつものごとく、会食続きだが、過去とは違っていきなり韓国焼酎ではなくて「とりあえず、ビール」という風になっているようである。多分、夏だからそうかもしれないが、一口飲んだ後は早速焼酎を注文して、それをビールに混ぜて飲んでいる。それを韓国では「焼酎(소주)」+「麦酒(맥주)」を短縮して「焼麦(소맥)」と呼んでいる。


                  (100年の伝統があるソルロンタン屋)

 また、繁華街には、巨大な貯蔵タンクを5個ほど設置して、ハウスビールなどを飲ませる大きなビアホールなどもあり、飲酒文化の多様性を感じた。
 昨日は昼から中華料理で56度の中国酒を飲まされ、別れ際に道の真ん中で握手をしようとしたら抱きつかれ、ほっぺたを合わせてきた。昼間だけに道行く人の視線を一斉に浴びた。
 ホテルが漢江のほとりにあるので、早朝ジョッキンぐで1時間びっしょり汗をかいて、昼酒と昨夜の「焼麦」を洗い流した。
 ここではノンアルコールの生活はやはり無理である。
  


 
 
  

2011年8月26日金曜日

「メダカの運動会」

 自民党の古参議員が民主党の代表選を揶揄したのが表題である。
 さすが、永田町の動きを的確に言い当てる。
 この「国難」を乗り切るための大改革を進めるには、やはり小沢しかいないような気がしてならない。もちろん、「党員資格停止処分」の解除などが必要ではあるだろうが、「小粒」の総理がバランスばっかり考えて改革の速度が鈍化するのであれば、副作用はきついかもしれないが短期的にはこの「痛み」を取り除く必要があるだろう。
 今回、代表選出馬候補の政策は外科手術をするのに麻酔の量をどれぐらいにするかだけを論じているような気がしてならない。
 問題は麻酔の量ではなくて、どこをどのように切り取れば患者が健康体になるかの判断である。
 そのことがまったく見えてこない。でも、小沢はそこをしっかりと見据えているようである。
 
 
 

2011年8月25日木曜日

「ウジョン(友情)カップ」2

  ラモスも来て、福島の子どもたちにサインしたり握手をしていた。
 韓国チームを引き連れてきた監督に久々に会って、話をして感じたことがあった。
 ナデシコジャパンの快挙もしかり、 先日の韓・日戦の内容と結果もあり、韓国少年たちの日本へのサッカー留学熱が非常に高まっているようである。
 その受け皿として当学園へ熱いラブコールを送ってきた。
 グラウンドはフットサルがようやくできるぐらいの広さに、サッカー部は存在するものの11名もいないという状況で「受け皿」にはならない。
 しかし、サッカーの原点は「路地裏での球蹴りではないか」と、別のコーチが力説する。
 さて、どうするか悩ましい。   
 

2011年8月24日水曜日

「ウジョン(友情)カップ」

 月曜日から夏休みが終わり、授業再開となった。韓国留学生たちも全員無事に戻ってきて元気な姿をみせてくれた。
 今週は来年度に向けた生徒募集の一大イベントである「サマースクール」が2泊3日で開催され、日本全国から20名近い入学希望者たちが学校と寄宿舎で過ごすことになる。
 昨年の参加者が6名程度だったので、約3倍近くになったが、生徒募集だけは蓋を開けるまでどうなるかわからない部分がある。
 さて、今日からは友人が主催する「ウジョン(友情)カップ」という少年サッカー大会に約65チーム、約2000名の小学生達が大阪の舞洲に集結する。
 今年は被災地の福島県からも50名近いサッカー少年とお母さんたちを招待した。
 韓国からも6チーム、そして朝鮮学校からも4チーム参加するこの大会を12年間、手弁当で運営しているこの友人の情熱というか「狂気」に不思議と巻き込まれてしまう。その一人に最近妻を亡くしたラモスルイもいて、彼も東京から駆けつけてくれる。
 今日は、参加者の水分補給やお弁当の手配などのボランティアで福島の子どもたちにボールを思う存分蹴ってもらいたい。
 

2011年8月23日火曜日

リビアと北朝鮮

 ついにカダフィ政権が崩壊となった。北アフリカの民衆蜂起が最も困難と思われたリビアの扉を開かせた。ただし、NATOの空爆という「支援」を受けてということがどうしても引っかかる。
 イラクやアフガニスタンの例をみてもわかるように、「独裁政権」を打倒するために他国の軍事力の介入が容認されてしまうと、「独裁時代」以上の犠牲を産み出している。
 「金正日政権」を打倒するために、日・米の軍事介入を認めることができるのかと言われればやはり「ノー」である。
 もちろん、リビアと北朝鮮を単純に比べることはできないが、今後「自由と食糧」を求めて北の民衆が蜂起したとき、関係国はどのような対応をするのか、そして自分自身はどうするのかなど様々なことを考えさせられた。

2011年8月22日月曜日

高校同窓会

 高校時代の友人が亡くなり、「偲ぶ会」があった。「悪友」たちが40人ほど集まり、私にとっては約35年ぶりの再会となった。膵臓癌の末期だったが、一切抗癌剤を使わず、半年間で90キロの体重が45キロとなって他界した。
 「死を迎えたのではなく、今を生き抜いた」という故人の妻からのメッセージに涙腺が緩んだ。 

 参加者の半数の20名以上は全く誰かわからず、約10名は顔と名前が一致しなかった。
 お互いじっと見つめながら、名前を確認しあったときは抱き合いながら酒を酌み交わし、35年間の空白を埋めようとした。
 増えたのが皺と加齢臭で、減ったのは黒髪という50代前半の悪友達たちだが、その場ではみんなが青年の輝きを放っていた。
 帰宅して早速高校時代のアルバムを紐解いた。不思議と顔を見ただけで名前がどんどんあふれ出てきた。
 この日だけはどっぷり高校時代の思い出に浸った。
 

2011年8月19日金曜日

スイッチオフ

 先週土曜日から今週月曜日まで大阪市内から40分ほどの標高1000mの山頂で過ごした。気温は20度から25度程度だった。何も考えず読書だけで時間を過ごした。
 昨日は東京で葬式があり、日帰りした。新幹線も節電らしく、関西電力管轄地域を越えて東電管轄地域に入った途端に設定温度を高くするとの車内アナウンスがあり、また都内のコンビニに涼を求めて飛び込んでも店内は暗くそして暑かった。
 はやり震災の影響をまず皮膚で感じさせる。
 故人は88歳の在日一世だが、参列者に同年代の人はおらず、この世代がどんどん減っていることを実感した。「東京時代」の先輩と式場で出会い昼食を共にしたが、50~60代の共通の悩みというか話題は子どもたちの「結婚問題」であった。既存団体の結婚相談所や同胞個人による業者には不信感があり、信頼できる仲間たちと情報を共有しながらボランティアでこつこつとお見合いをさせている。
 早速帰り際に「釣書」を2枚手渡された。

2011年8月12日金曜日

学校法人経営セミナー3

 最終回のセミナーテーマは「会議活性化のポイント」だった。毎回、8名前後というアットホームな規模であるが、たまたま名刺交換をした参加者が次女が通っていた高校の教頭先生でびっくりした。
 「娘さんのことはよく覚えていますよ。そして、お父さんには感謝しています」と言われ、またまたびっくりした。
 実は、入学式のときにいきなり「君が代」となり全員起立を求められたのであるが、私と妻だけ着席したままで抗議の意を表した。
 キリスト系の厳格な女子高でしかも国際科ということで、まさかこのようなセレモニーをするとは思いもよらなかっただけにショックだった。
 その直後に学校に抗議文を送ったら、学園長が「新校長が助成金のこともあり、強行したが、教職員の多くも戸惑いを感じており、早速是正するようにする」と答えていただき、それ以降の行事では一切「国歌斉唱」をしなくなったのである。
 今日の教頭先生によるといまもそれは続いており、「保護者の抗議」がそのきっかけになったと感謝されたようである。
 それにしても、小規模なセミナーの場で6年近く前の出来事がこのように教育現場で脈々と引き継がれていることを聞かされ正直嬉しかった。


2011年8月11日木曜日

完敗と除染

 負けるとは思っていたが、3-0は情けない。尼崎の焼肉店でテレビを独占しながら観戦していたのだが、「単細胞プレーのチャドゥリをいつまで出しとるんや、仁川空港に戻ったら腐ったキムチを投げつけなあかん」など同席していた某社長のヤジが凄まじい。
 韓国の趙監督が「W杯予選のいい薬になった」とコメントしていたが、深刻な危機感を抱いたにちがいない。やはり朴智星の抜けた穴が埋められていない。試合終了後、店長らしき人が「社長、悔しいでしょう」と聞いてきたら、「わしの父親の国とわしが育った日本のどちらも応援しているから、結果にはこだわってないねん」と平然と答える姿に、さすが商売人だと感心した。
 
 今日の朝日新聞朝刊1面トップに福島の公立学校の半数が校庭除染を実施したと報道されていた。
 同じ被災学校でもある福島朝鮮学校の生徒たちは新潟の朝鮮学校で避難生活をしていると聞いた。当然「校庭除染」の対象となると思っているのだが、「各種学校」ということで後回しにされる気がしてならない。除染された校庭で1日も早くサッカーボールを蹴らしてあげたい。
 

2011年8月10日水曜日

寄宿舎

 この3ヶ月二つ目の寄宿舎建築のために頭を悩ませている。すでに既存の寄宿舎は10月から空き部屋がなくなり、来年度からは新寄宿舎がないと生徒を受け入れることができない。
 学校近辺の土地を物色していたところ、ようやく候補地が出てきた。しかし、問題は資金繰りである。「学校法人」に金融機関は基本的に融資をしてくれない。そのため、誰かに建ててもらい、それを「サブリース(一棟借り)」するしかないのだが、この経済状況でそういう人はなかなか現れない。
 ところが、数ヶ月近く「交渉」をしていた後輩が金融機関からの融資を前提にして承諾してくれた。
 すこし、「光」が見えてきた。
 

2011年8月9日火曜日

「50男の怪気炎」

 「悪友」達と久々に一杯やった。会話の中心はやはり老後の生活と夫婦関係である。男同士の会話だけに本音のやり取りで各自の生活実態が浮き彫りにされた。
 ある部分では「自分ところは少し変わっているのかな?」と不安にさせたり、別のところでは「やはり同じなんや」という安心感というか連帯感を感じるという調子である。
 具体的な表現を記述できないのが残念だが、結論は全員「よう、離婚もせずここまで来たな」という実感と妻への感謝である。
 帰り際「妻たちも集まると多様な会話をもっとエネルギッシュにしているに違いない」とふと思った。
 この世代(50代前半)の夫たちは体力的かつ精神(経済)的な不安を抱えることが多く、妻たちは「更年期障害」等に苦しめられながらも逆に子育てなどで「失った数十年」を取り戻そうと活力に満ちている女性が多いように見受けられる。特に、山に来ている女性たちの姿をみているとその思いを強くする。まるで使用前と使用後のテニスボールのように「禿げ方」と「跳ね方」が違う。
 昨日の集まりは「悪友」の誕生日祝いが口実であったが、50歳前後の男4人が「イタ飯屋」で「祝杯」をあげながら「頭が薄なったとか、下半身の『切れ』が鈍くなった」などの生々しい会話に店の人と若いお客さんたちは耳を塞いでいただろう。次回は別の一人が9月に誕生日を迎えるのを口実にして再会を約した。
 
 

2011年8月8日月曜日

「初デビュー?」

 昨日「12月17日から韓国代表U13と日本代表U13の日韓戦を静岡で行うので参加するように」との連絡があった。
 今年の2月に代表合宿に参加してからはじめての対外試合デビューとなるかもしれない。(そのときの取材記事が韓国連合ニュースhttp://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=107&oid=001&aid=0004932890 に写真付で出ていたことを最近知った。)いつも寡黙な長男が、昨夜は気持ちが高ぶっていたのか遅くまでサッカーの話をいろいろとしていた。
 どのようなセレモニーになるのかはわからないが、やはり「国民儀礼」として「国旗国歌」への忠誠を表す敬礼か胸に手をかざすことになるのか、複雑な気持ちである。
 もしそのようなことになれば、多分、南北の「愛国歌」も日本の「君が代」の歌詞も知らないであろう在日4世の中学生が一瞬「国家」を背負わされたときの気持ちはどのようなものなのか興味を感じる。
 
 
 

2011年8月6日土曜日

「スイッチオン」

 久々にむき出しの「本性」を見せつけられた。こちらも売り言葉に買い言葉で応酬したのだが、それがいたくプライドを傷つけたようで普段とは全く違った言葉と態度で怒鳴り散らした。
 久々に戦闘モードにスイッチが入って、とことんやりあおうと思ったのだが、途中で馬鹿らしくなった。こんな人間と同じ土俵で勝負することが自分の魂を汚すことになるなと思って、無言で通した。
 しかし、なかなか寝付けない。自分の人を見る目が甘すぎたのかと自責の念に駆られつつも、相手の幼稚さに憐憫の情を感じたりと朝方までまったりとしてしまった。
 結論は自分がまだまだ未熟だったということである。孫子の兵法ではないが、戦う前に勝負をつけておくべきだった。
 喜怒哀楽の中でも「怒」と「哀」の表現は多様かつ個性的で難しい。だからこそ、そこにその人の人間性が集約されているのかもしれない。
 久々に、はらわたが煮えくり返る経験をさせてもらった。

2011年8月5日金曜日

学校法人経営セミナー2

 「子ども手当」が廃止されることになった。昨日、学校法人経営セミナーでお会いした大手学習塾の社長が「夏休みの入塾生がドンと減ってきている」とその影響が敏感に現れていると言われていた。
 年収960万円以下の家庭を対象にするよりは、年収額をもっと下げるべきである。
 年収1千万近い3,4人家族ならそこそこの生活ができていると私は感じるのだが、できるだけ低所得層に手厚くできないものか。現在でも低所得層の出生率が高いかどうかわからないのだが、「貧乏人の子だくさん」を前提とするならば、そこに政策の恩恵が行き渡るようにするほうが制度の趣旨にも合致すると思う。
 さて、昨日のセミナーでは「学校における人事制度改革」がテーマであったが、どのような制度を設けようが人を評価するということの難しさを改めて認識した。「良い悪い」だけでなく必ずそこには「好き・嫌い」という感情が入り込んできて、公平性と客観性だけでは判断できないところが「人事」にはつきまとう。
 講師は「評価制度がどんなに良くても、評価者がいかに評価するかによって公平性や納得度は大きく左右される」と述べていたが、「評価者」の人格と価値観が最も大切なポイントであることを学んだ。とにかく、「学校」というところは「企業論理」や「世間の常識」というのが馴染まないことが多すぎる。



 
 
 

2011年8月4日木曜日

「女性監督」

 ナデシコジャパンの優勝メンバーに500万円のボーナスが支給されることになった。サッカー協会としては当然のことだが、これを契機に女子サッカーへの抜本的な支援・育成体制が強化・整備されることになると思う。
 一昨日、少年育成サッカーの指導者と話をする機会があった。かれは、すでにチームのキャプテンを女子に任せているのだが、これからも日本の女子サッカーを強化する上において必要不可欠なことは「アメリカ・ドイツと同じように代表監督を女性(たとえば沢)にさせて、お金は出しても口ははさむな」という持論を展開していた。
 さて、今日は2回目の学校法人セミナーでテーマは「人事」である。教職員の評価は本当に難しい。企業のように業績や結果を数字である程度判断できればいいのだが、そのようにはいかない。
 たとえば忌野清志郎の「僕の好きな先生」のような教員も教育現場には必要で、管理職側から見たらだめでも、生徒にとってはなんともいえない存在感を放っている素晴らしい先生というのが必ずいる。(最近はあまり見かけなくなってきたようだが・・・)。このような先生ばっかりだと教育行政が滞ってしまい、学校運営が大変だが、全くいなくなると生徒たちの心が荒んでしまう。
 この、二律背反的な問題に今日のセミナーはヒントを与えてくれるのか期待したい。
 
 
 

2011年8月2日火曜日

同行取材2

 昨日の午前中は京都の介護施設「エルファ」に行った。在日1世の老人たちが日本の施設に馴染めず、孤独感が認知症等を悪化させている現実を目の当たりにして、キムチも食べられ、朝鮮民謡も歌い、そして職員とは母国語で会話ができる施設を、という一念で12年間運営されてきた鄭理事長や南事務局長のお話を伺った。
 最初は食器から蒲団に至るまで、ほとんどがもらいものからスタートして、車もエアコンのない中古車を2万円で譲り受けた。そのような努力が評価されたのか、2000年(?)には「毎日新聞福祉賞」をいただき、副賞の100万円で階段に車椅子を移動させる機器をようやく購入できたという。
 現在は日本人も含めて約90名が毎日ディサービスを利用している。
 そして地域に住む共稼ぎ夫婦の子どもたちにも放課後や夏休みなどに施設を開放して過ごせる空間を提供している。
 「ゆりかごから墓場まで」という福祉の理念を具現している人々たちの姿に韓国取材陣も胸を打たれたのか、予定時間を大幅にオーバーしてまで取材を続けていた。
 
 

2011年8月1日月曜日

同行取材

 土曜日から韓国某ラジオ局の取材に通訳兼ガイド役で同行することになってしまった。
 最初は断ったが 知人からの執拗な依頼で押し切られてしまった。
 一行は男性PDに女性放送作家、そして美人レポーターの総勢3名である。テーマは「家族の分化・解体そして再生」で、専門家と行政へのインタビュー、福祉施設での取材、そしてホテルの予約、観光案内のすべてを背負うことになった。
 ただし、テーマがテーマだけに同時通訳などをしながら勉強になり、また普段なら決して行かないような奈良観光にも行き、新しい発見もあった。
 
 特に、「大家族」から「核家族」そして「弧族」と変遷する社会変化の中で、個人・地域社会・行政そして政府はどうあるべきかなど「家族」というものをじっくり考えさせてもらったものの、行動が伴わない。
 妻の誕生日は当日間に合わず、1日遅れの朝にケーキでお祝いすることになり、相変わらずのブーイングである。