2011年3月31日木曜日

初弁当

 昼ごはんはいつも学校周辺の「松屋」か「ザめしや」で済ましていたが、毎日となると飽きがくる。
 お弁当も注文できるのだが、食べた後の容器をゴミ箱に捨てるのがどうしてもしっくりいかない。
 仕方ないので昨日は初めて自分でお弁当を作ってみた。作ったというよりは残り物を詰め込んだだけなのだが、当面続けて見ようと思い、カードのポイントを利用して「ホットランチ」という常温弁当箱も注文した。
 当面といっても来週の入学式頃までで、それ以降は長男と同じものを妻に頼むことになるのだが、すこしでも身近なところから無駄をなくしていくことで、被災者の気持ちに寄り添えるならばと思う。
 今日は毎日放送の「ちちんぷぃぷぃ」が学校の卒業式を中心とした内容を第2弾で放映してくれることになった。震災関連の特集続きで放映は無理だなと諦めていたのだが、ありがたい。
 興味ある方は午後4時ごろから始まりますので、ご覧になってください。
 

2011年3月30日水曜日

白頭山爆発

  2002年から朝鮮半島で一番高い白頭山の火山活動が活発化しており、その共同研究のための南北会談がもたれたと昨日の韓国ニュースが報道していた。
 この30年の間に爆発する可能性があると指摘する専門家もおり、今回の巨大地震ともあいまって緊張感が走っている。
 もし爆発すると昨年ヨーロッパの航空路線を数カ月(?)ストップさせたアイスランドの火山爆発の100倍近い影響を与えると伝えていた。
 約1200年前に大きな爆発があり、当時白頭山と中国の東北部一帯を支配していた高句麗の後継国家であった渤海がその影響で忽然とその姿を消したともいわれている。
 白頭山一帯を数メートル掘り起こせば、その遺跡がそのまま発掘できるだろうともいわれており、中国はそれを警戒して朝鮮戦争後に「みかじめ料」として白頭山を真っ二つにして国境線というか領有権を金日成からもぎ取ったらしい。
 そして、数年前にだされたのが中国政府による「東北工程」という歴史観で、高句麗が中国の「いち地方政権」だっとの見解である。
 これには韓国側が猛反発して、各テレビ局の歴史ドラマすべてが高句麗時代一色となり、中国で開催されていたアジアカップで韓国の選手たちが表彰台で確か「白頭山は我国云々」というような横断幕を掲げて、物議をかもしだした。
 実際白頭山が爆発すれば朝鮮半島だけでなく中国・日本にも多大な影響を与え、「国難」となる可能性も十分である。
 白頭山の怒りが南北の和解と統一そして東北アジアの平和を促進する結果につながれば、火山活動も鎮静化するだろうと思いこみたい。

2011年3月29日火曜日

天満の夜

 昨夜は天満でお店を3軒はしごした。
 一軒目は、「すし屋」、2軒目はこの町にはなじまない洒落た「ワインレストラン」、3軒目はその2軒隣りの「鳥の唐揚げ専門店」、そして最後が新地の「ワインバー」という具合に、すさまじい飲食となった。
 もちろん、日本酒は「東北産」だけにして、「献杯」と「黙祷」からスタートした。
 「天満」をテーマにして大学院生たちが京橋とかそれ以外の繁華街のコストパフォーマンスを比較調査した結果、「天満」がダントツだったと、友人の経済学部の大学教授から聞かされたが、どこの店も人がいっぱいの印象を受けた。
 帰宅したら2時を超えていた。頭は重いが楽しいメンバーとの会食だけに心はすごく軽くなった。
 
 

2011年3月28日月曜日

「自粛」

 ようやく理事会も終わり、後は入学式を迎えるということになったが、「人事が万事」ということで、年度末はバタバタと騒がしくそして忙しい。
 桜は今秋から開花を始めるようだが、被災地のことを考えると今年は「花見」を控えたくなる。
 マンションの住民告知板にも毎年恒例の花見を「自粛」するとの貼紙があった。
 「自粛」という全体による「暗黙の了解」は正直好きになれないが、個人の気分と判断で自主的に「何かを控える」ことにより、被災者に少しでも寄り添いたいという気持ちだけは大切にしたい。
 放射能の汚染が拡大しそうなので、またバングラディッシュの留学生たちが大阪に戻ってくるのではないかと気をもんでいる。春休みなら生徒がいないので対応可能だが、長期化すると地域と行政で受け入れ態勢を再構築しなければならない。
 早速、昨日は仙台の高校で教鞭をとっていた韓国の教師が大阪で職を求めているので相談にのってほしいとの連絡があった。  
 さて、3月も終わりをつげて、4月という新年度を迎える。 「心機一転」ということにはなかなかならないだろうが、「変えない美徳」よりも「変える勇気」をもって歩むしかない。
 

2011年3月25日金曜日

2011年3月24日木曜日

再チャレンジ

 10月末の大阪市民マラソンに申し込んだ。
 約17万名の申し込みがあり、最終的には3万人しかエントリーできないのだが、前回完走できず、もうこりごりだと思っていたのだが、今回の巨大震災被害者たちの踏ん張る姿から勇気をもらったので、少しでもその恩返しのつもりで再チャレンジすることにした。
 もし、落選しても別のフルマラソンにエントリーして、彼(女)らへのメッセージを張り付けて走りたい。
 ますます被害が拡大しそうであるが、「東北人魂」の我慢強さとしぶとさで必ず立ち直ると信じる。
   今は、地震直後から現地入りしている写真家の藤原新也さんのブログhttp://www.fujiwarashinya.com/talk/index.phpの言葉を肝に銘じている。

  2011/03/22(Tue)

6:48 朝っぱらから流れる耳タコ希望

ラジオテレビから延々と流れる続ける希望の言葉、はげましの言葉。

言っておくがここ被災地の人々がその言葉を聞いている場面に一度も出くわしたことがない。

残念ながら1000回の耳タコ希望は重ねれば重ねるほど浮いてしまい人々にとって鬱陶しいのだ。

つまりそれは安全圏の中に住む人々の間のみで消費されている自慰行為に過ぎない。

ここ数日の経験からするなら、希望言語より人々の心に寄り添ったなげき言語の方がずっと人の心を癒すという不思議な人間の心の綾というものがあるということを希望希望と連発する人々は知って欲しい。

もしその言葉を吐くなら、私はこの震災のために(べつに大げさなことでなくとも)何をしたという小さな行為と事実を述べた上で言って欲しい。

 

2011年3月22日火曜日

この3日間

 日曜日は長男の小学校卒業式があった。
 深刻度を増す生徒減少と財政難にもかかわらず現場の教員の子どもたちへの愛情と学校への献身性は素晴らしい。
 この教員たちとそれを支える保護者でかろうじて民族学校が維持されているといっても過言ではない。
 おなじ教育事業に携わる立場の人間として羨ましい限りである。
 そして昨日は8時間近いマラソン会議となり、精も根も(?)尽き果てた。労務管理の難しさ、学校運営の厳しさを強烈に実感させられた。
 今日は学校を避難所にしていたバングラディッシュの人たちが約1週間の不便な生活に終止符を打って東日本の各地へ帰っていった。
 最後は教室をきれいに掃除して去っていく彼(女)らの表情からはまだまだ不安が消え去っていない。
 国力のあるエジプト留学生は学校ではなく有料の避難所で過ごし、政府がチャーターした飛行機で帰国したものが多いが、バングラディッシュの人たちは本国の支援もままならない状態で過ごした。
 ここにも経済格差というか国力の違いが影を落としている。
 
 
 

2011年3月18日金曜日

続々

 昨日はクルド人の親子を中心に20名の受け入れを打診された。
 トルコ政府から迫害されている少数民族だということぐらいの認識しかないのだが、今までは遠い存在だったバングラディシュもクルドも身近に感じる。
 食事はいわゆる「宗教食」となるので、安易に食料を提供することができない。
 善意でも豚肉の入ったレトルト食品やカップ麺など差し入れすることは慎まなければならない。
 一般の避難所ではやはり生活ができないので、「イスラムセンター」に押し寄せてくることに気がついた。
 そういうこともあり、食事は毎回「イスラムセンター」まで通っている。
 さぁ、今日はどこの国の人たちが来るのか、楽しみになってくる。(内実は大変だが・・・)
 
 

2011年3月17日木曜日

被災外国人留学生

 昨日の午後、地域の人から東日本のイスラム系留学生が100名近く避難してきているので、学校を開放してほしいとの依頼があった。
 学校の近くに「イスラムセンター」があり、近畿一円から毎週土曜日礼拝に来られるのだが、この間交流を行っており、そこにイスラム系留学生たちが避難してきたようだ。
 今朝、挨拶に行くと13名のバングラディッシュの人たちは教室で疲れて寝ておられたのだが、1名の方だけパソコン室におられた。
 話を聞くと、筑波大学の大学院生で3年前に来日したが、大学では停電が頻繁にあり、授業もままならず、とくにコンビニでの食料品も不足しているうえに、「放射能汚染」が深刻という情報で大挙避難してこられたとのことだ。
 たまたま、春休みなので泊まっていただくことができたが、たぶんこれからはもっと増える勢いである。
 教室の固い床の上に蒲団だけを敷いている状況なので、もっと環境のいいところに移動できればいいのだが、今日から行政との交渉を始める。


 
 

2011年3月16日水曜日

信頼

 「…海外の人々は、日本の被災者たちの沈着で節度ある態度に賛嘆を惜しまない。苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合う。日本の市民社会に対する世界の信頼は少しも揺らいでいない。」と今朝の朝日新聞コラムに書かれていたが、全く同感である。
 流言飛語と権力側の情報操作により、6,000名ともいわれる在日朝鮮人が殺された、関東大震災時の歴史的教訓も生かされているのだろう。
 世界のニュースがどのような視点で報道しているのか、毎朝習慣としているBSの「世界ニュース」も停止状態なので、仕方なく夜の9時からの韓国のニュースをみていると、編集の段階でBGMも入れており、犠牲者への哀悼に満ち溢れている。
 そして、この数日は「放射能汚染」に集中している。
 そのためか、韓国からの入学希望者が1名、親の反対で断念しそうである。
 友人の娘がバイトしている外国レストランの店長は東京の店を閉めてしまい、さっさと関空から故国に帰ってしまったそうである。
 日本人の忍耐とこの国の復興力を信じて欲しい。

 
 

2011年3月15日火曜日

「余震」

 昨日、京都の某芸術系大学の理事長とお会いしていたときに、東北出身の学生たち約300名のうち、半数近くしか本人と連絡が取れておらず、大学事務局はテンヤワンヤだとおっしゃっていた。
 首都圏の大学ならなおさらで、卒業式や入学式が予定通りにできない状態に陥っているのではないだろうか。
 東京の先輩からは連絡があり、「懐中電灯が品切れなので大阪から送ってくれ」といわれ、早速買いに行ってもらったが、大型店3軒すべて売り切れで「震災地に優先的に送るので、、入荷予定もめどが立っていない」ということだった。
 関西と自分自身の生活の周辺にも着実に「余震」が押し寄せているのだが、何もできない自分に苛立ちを覚える。
 在日外国人や観光客の安否情報についてもネット上の「伝言板」が立ち上がったらしい。そこで何かお助けできないか問い合わせてみよう。
 

2011年3月14日月曜日

悼む

 地震直後の3時30分頃、新大阪駅にいた。東京方面はすでに全面ストップ、博多方面も遅れが出ていた。
 金曜日ということもあってか構内には人がどんどんあふれ出し、窓口には長蛇の列である。
 博多で講演のため前日入りをして、関係者と会食することになっていたが、結局遅れてしまった。
 ところで、今回の地震の被害を表現できる活字が出てこない。
 講演に入る前に、参加者全員に呼び掛けて1分間黙とうをささげた。
 阪神大震災から15年経ち、ようやくその衝撃と悲しみから立ち上がろうとしている矢先に、今回の地震である。
 テロップの「死亡、行方不明者数」の多さに驚愕せず、ひとりひとりの命の大切さと向き合うことが、私たちの責務である。そして「明日は我が身」でもあるという緊張感を維持していきたい。
(合掌)
 

2011年3月11日金曜日

外国人献金(2)

 今日の朝日新聞の朝刊1面に「首相に外国人から104万円の献金」の見出しが踊っていた。
 先日このテーマに言及したが、「氷山の一角」である。
 在日コリアンが半世紀以上も日本に住み、地域住民として生活している以上、日本人とのさまざまな関係性が生じるのは当然である。
 知り合いの焼肉屋のおばさんが母子家庭で苦労している「少年前原」を可愛がり、政治家となって「出世」したなら、なおさら応援したいという気持で「祝儀」の気持ちで「寄付」するのは人間として当然の感情であろう。
 そこまで「外国人献金」を問題視するなら、「外国人からの税金徴収」も禁止してほしい。
 管首相はこの問題で辞めるのではなく、この実態を徹底的に洗い出して、「永住権をもつ外国人の献金」については罰則を設けない方向で法改正につなげるべきである。
 自民を含めた野党側も無傷でないから可能であろう。
 そして、「外国人の地方参政権」を実現するという戦略的判断をするべきである。
 

2011年3月10日木曜日

法人認可

 学校法人認可の最終確認のために、大阪府の担当者が来た。
 これで、4月から各種学校としてスタートできる。
 今まで「白タク運転」状態だったのが、ようやく「営業許可」を取得して運転できる気分である。
 とくに生徒と保護者は晴れて「学割」の通学定期券を購入することができるので、そのことを実感することであろう。
 来年度は生徒数も増え、より活気に満ち溢れることになる。
 また、昨年12月に毎日放送の「チチンプィプィ」で紹介されたのだが、視聴者の反響が大きいということで来週の火曜日にPart2が放映予定である。
 これで、また少し「駆け込み」の生徒が増えてくれればありがたい。
 
 

2011年3月9日水曜日

負け癖

 大阪府というか橋本→(橋下に訂正)は棚上げにしていた助成金の支給を朝鮮学校の小・中のみに開始することにした。高校は肖像画問題もあり除外された。
 「肖像画」問題のみがクローズアップされているようだが、「肖像画」だけをいうなら、いまでも小・中も教室には指導者が描かれた「油絵」を掲げている。
 問題の本質は「教育論」ではなく、「政治・思想論」となっていることである。
 だから、リングで戦うべきは橋本VS朝鮮総連なのだが、そうなっていないことが歯がゆい。
 朝鮮学校は北朝鮮の国家的財政支援と朝鮮総連との組織的連携がなければ存在し得なかった学校である。まず、歴史性を踏まえて戦えば、アウェイでもホーム試合に切り替えることはできる。
 橋本はその「生命線」に楔を打ち込もうとしているのだから、「徹底抗戦」するか「一歩前進二歩後退」の戦術を選択するか、明確な態度を示すべきなのだが、それを教育現場の校長に丸投げしていては勝てる喧嘩も勝てない。「負け癖」がつくとこうなるんだという典型例である。
 拳を上げた橋本も、売られたケンカを子どもに押しつけている朝鮮総連も同罪である。
 そのシワ寄せが結局、子どもと保護者に覆いかぶさり、生徒数が減少するという悪循環となってしまうのである。
 

2011年3月8日火曜日

外泊

 友人が「外国人献金」の記事を某有名脳科学者にツイッターで知らせたところ、「参考になった」と自らのツイッターでも紹介したので、日曜日は一気に3000近いアクセスがあった。
 そろそろツイッターを始めようと考えていたところなので、その影響力というか波及効果には驚かされた。
 ところで、昨夜は東京から来客があり、京都で遅くまで飲んで帰れなくなってしまった。
 京阪の最終が11時31分、JRが12時30ごろだというので、そわそわしだしたところ、来客が「私のホテルで泊まっていけ」と言われたので、緊張感が一気に解け、グラスがどんどん軽くなってしまった。
 妻に電話をしたところ「あ、、そう」とそっけなかった。
 新婚当時、接待の連続で疲れきって1日だけ会社で泊まってしまい、翌朝電話をしたところ「ガチャンと!」切られてしまった。これはまずいと思い、その日の予定をキャンセルして帰宅したところ、卓袱台の上の置き手紙だけが私を迎えてくれた。「こんな生活には我慢できません」と文面には書かれていた。
 あれから25年近くなるが、しっかり免疫ができたようで、今では夫の行動にほとんど関心を示さない。気軽だが寂しい。
 

2011年3月6日日曜日

初マラソン

 30キロ地点で棄権となった。タイムは3時間10分50秒。

 
 完走で5時間切ることを目標にしていたのだが、あっけなく玉砕となる。
 20キロ地点までは景色を見る余裕もありだいじょうぶだったのだが、それを超えてから膝、股関節というところから悲鳴が上がりだし、25キロ地点からはふくらはぎ、太ももの筋肉が痛み出し、途中でウオーキングも混ぜながら完走を目指したのだが、残念である。
 這ってでも完走を目指そうという意地と、もうここまでやれば充分だろうという自己満足が数分ごとに入れ替わり立ち代り心を乱す。
 最後は明日の仕事を考えると「このままマッサージを受けに行かなければ」という誘惑が心身を覆ってしまった。
 途中でトイレに3回入った。韓国の高麗人参入りの液体エキスをレース直前に飲んだのがよくなかったのか、利尿作用がよすぎた。
 終了後控え室に引き上げ、ストレッチをしようとしたが、下半身がつっぱっていて、座ることができない。
 いい経験ではあったが、やはり山に戻ることにした。
 
 

2011年3月5日土曜日

外国人献金

 自民党・公明党の議員の大多数も同罪であろう。
 今から20年前に「パチンコ疑惑」というのが、国会で取りざたされた。
 当時、躍進した社会党を落とし込むために、自民党側が仕掛けたものだ。
 社会党の議員がパチンコ業界から政治献金をもらっており、そのパチンコ業界は脱税をして北朝鮮に送金しているという筋書きである。
 蓋を開けてみたら、自民党議員が金額的に人数的にも多かったので、あわてて幕引きをしたという喜劇である。
 一方、創価学会には在日コリアンの信者が相当多く加入している。その「外国人信者」たちが選挙となれば公明党の票がために献身的な働きをしていることは周知の事実である。
 確か「公職選挙法」では外国人の選挙活動は禁じられているはずである。
 私はこの際、泥沼覚悟で徹底的に政治家と外国人献金問題を掘り下げればいいと思う。
 ほとんどの政治家が、脛に傷をもっていることが明らかになるだろう。
 それにしても、この程度の献金額と内容で馬鹿騒ぎしているマスコミと政界の幼稚さには開いた口がふさがらない。

2011年3月4日金曜日

「春闘」

  新年度を迎えるにあたって、この時期は人事の問題で頭を悩める。
 今までは「資本家(雇用主)」を批判・糾弾する側の仕事ばっかりしてきたので、反対側の立場に立たされた時に180度ものの見方を変えなければならない時があって、戸惑うことが多い。
 今では死語となっているが「春闘」という意味が身をもって感じられる。
 就業規則の解釈、給与規定の見直し、契約交渉、労基署への書類提出等、今まで経験したことのない業務にてんてこ舞いである。
 本当に「経営者」は大変だと最近は同情するようになってきた。
 いうならば今までは「万年野党」の立場で批判して反対を叫んでいればよかったのだが、現在は「政権与党」としてのマニュフエストの実現と説明責任を負っているということになるのだろう。
 そう意味では民主党にも同情したくなってくる。

2011年3月3日木曜日

小6のラブレター

 妻が長男の部屋を掃除していたら、ノートの切れ端を見つけた。
 そこには、「好きです」と「付き合ってほしい」との文字が書かれていたらしい。
 そして一番下には自分の携帯番号を書いているのだが、名前のところは○○○だけで明記していない。直接ではなく、同級生の女の子を通じて手渡したらしい。
 今までは女の子からのメールは「すべて迷惑メールにしている」と言っていたのだが、 最近は帰宅後にひっきりなしにメールのやりとりをしているので、そういうことなのかと合点した。
 まさに季節も気分も「春近し」ということらしい。
 

2011年3月2日水曜日

イーグルス

 昨夜9時頃、腹をすかして自宅近くのイングリッシュパブに立ち寄ったら、イーグルスのDVDが流れていた。マスターに「懐かしいな」と言ったら、「今、大阪ドームでライブやっているんですけど、チケットとれなかったお客さんがもちこんだ5年前のDVD映像を流しているんです」とのことだった。
 立ち飲みが基本のパブだが、1時間ほど見とれてしまった。
 歌はもちろんだが、メンバーひとりひとりの表情が素晴らしい。「おれも、あのような老け方をしたいな」と思いながら画面に食い入っていた。
 10代後半の無限の可能性を感じながらも、自分の小さな殻を破れず、日々悶々としてしていた時に夢中になったイーグルスの歌は「可能性」も「小さな殻」も瞬間にふっ飛ばしてくれた。
 50代になって聞いたイーグルスの歌は「限りある時間の可能性」を与えてくれたような気がする。
 大阪ドームでのライブDVDが欲しい。NHKさん1ヶ月分だけ受診料払うからBSで放映して。
 

2011年3月1日火曜日

第1回卒業式

 司会・進行を任されたので、冷静にふるまわなければならないのだが、さすがに途中で一回、鼻の奥がツーンときて、進行表がかすんでしまった。
 
 卒業式に参加するといつも、「学校の先生になればよかった」と痛感してしまう。
 9名の卒業生たちは教員と父母への感謝を述べていたが、私はこの生徒たちに心から感謝したい。

 イギリス、韓国、そして日本国内で大学生活を送るのだが、単純に「おめでとう。頑張れ」とは言い難い時代の中で、彼(女)達はこの3年間ですでに普通の学校ではありえないような困難と同時に素晴らしい出会いも体験しているので、しっかりと自分の頭と足で判断して、挫折に強く、成功をおごらない人生を送ってくれることだろう。
 
 

久々の爆弾酒

 今回の韓国訪問では20年以上の付き合いをしている先輩・後輩たちが妻と子どもたちをつれてお祝いに駆けつけてくれた。
 
 全員が延世大学出身で日本の慶応や東大の大学院に留学した経歴を持つ、いわゆるエリートたちだが、学生運動の経験をもち、夜通し酒を酌み交わし、激論した最も親しいメンバーたちだ。
 まだ独裁政権のきびしい政治状況下で反共教育の影響が社会と人々の心まで根深く巣食っているときにでも、民主化と統一のあるべき姿を真摯に模索していた。
 メンバーの中には来年あたり「おじいちゃん、おばあちゃん」になる者もおり、歳月の速さを感じさせる。
 マッコルリから始まり、最後はカラオケで「爆弾酒」の洗礼を受けて、さすがに翌日はアルコールが抜けず、初めて漢江を散策しながら「解毒」にいそしんだ。