2011年7月3日日曜日

帰日

 昨夜日本に戻ってきた。ロスの気候に比べると大阪はミストサウナのようである。少し時差ぼけはあるが、25年間の罪滅ぼしはおつりが出るほどだったと自負している。
 20年ぶりの気の乗らない米国であったが、やはり日本にいると感じることのできない多くの刺激をもらった。
 普段何気なく使っている「多文化共生」や「貧富の差」、そして「差別と人権」と「祖国と居住国」などアメリカ(ロスアンゼルス)社会の中に身をおくことによって多角的な視野を与えられたようだ。
 とくに、これからは「越境」する人々がますます増えていくことによって、「国家と民族」が相対化され、当該政権の政策によっては間違いなく社会の活性化に繋がることを確信した。
 それは自らの家族も同様で、子どもたちは5~10年後、日本だけでなくアジアや欧米に生活と活動の拠点を求めていくだろう。そのときは何が「家族」を結びつけるのだろうかなとふと思った。
 そして、そのアジアの一員である日本は「再生(活性)」するのだろうか?今日、久々に6日分の新聞を読んだ限り、どうしても悲観的にならざるを得なかった。
 

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