2011年7月15日金曜日

「気骨人」

 2回にもわたって学校を放映してくれたディレクターと飲んだ。
 今は、被災地の取材で福島と大阪を毎月4往復するという生活を送っている。大学時代は山岳部でヒマラヤの7800メートルまで登っており、また就職後はドイツ支局にいながら4年近く、クウェートとイラクの取材でずっと死線をさまよってきたというツワモノであるが、その温厚で礼儀正しいたたずまいにある意味戸惑ってしまった。
 福島の放射能問題については「事実の報道」と「被災地の支援」という二律背反の状況をどう伝えるか深刻に悩んでいた。
 その場に8月の大阪でのサッカー大会に福島のサッカー少年40名を招待したクラブチームの監督もいたのだが、彼によると「被災地にスパイクやボールを送っているが、ほとんど倉庫に眠っている。放射能問題もありサッカー自体ができない状況だ。この問題は数百年単位で対処しなければならないので、この大会が続く限り毎年招待する」と熱く語っていた。
 ディレクターによると芸能人ボランティアの取材要請についても「一回ポッキリでは意味がない。継続性がなければ売名行為として結局その芸能人が指弾されることになることをはっきり伝えると、ほとんど引いてしまう」という裏話も聞いた。
 久々に気骨のあるジャーナリストと「サッカー人」に会った。

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